生活力を考えた。2019年1月10日

生活力を考えた。

猫の写真があって、『ご飯まだ』と書いてある。
別の写真には『お昼まだ食べてないよ』と書いてある。
猫はかわいいというだけで餌を要求しているし、それで当然と思われている。
これは子供も同じだ。
時間になったら、またはそれ以外でもおなかがすいたら、
何か食べさせてと食卓のテーブルに座って母親の給仕を待っていたりする。
たいていの母親は食べさせるのは自分の責任と考えているし
子供はかわいいので、または自己愛の延長物であるので、かなりの程度に尽くす。
子供はそれを当たり前と思って大きくなる。
男性の場合は、家を出て結婚すれば、妻は母親の代わりであって、
食事をはじめとして家事全般のお世話をするものと思っている場合がある。
猫や子供のようにかわいいならそれでいいのだが
たいていの男性はそれほどかわいくないので、女性の献身にも限度がある。
ただ、一家の主な働き手が男で、専業主婦が女という場合には、
かわいいという動機ではなくて、役割分担という動機で、
そのような制度だから、女が男のお世話をしている。
ペットがなくなるとペットロスというくらいなのだが、
退職後の男性が死亡しても、妻はロスに苦しまないケースが多い。
逆に、妻が先になくなると、夫はロスに苦しむ。
精神的にでもあるし、身の回りのお世話という点でも、苦しむ。
女性の場合は、娘時代が終われば、子供にしても夫にしても、
自分がお世話をする立場になるので、
のんびりしていた時代は終わりである。
朝早く起きてお弁当の支度をしたりする。
最近では夫の収入が少ないので妻も働くのだが
夫はお世話されるものと信じているし、夫の親も、
息子の嫁は、お世話してくれるものだと信じているので、
大変やりにくい。
退職後に、もう収入もないし、愛もないし、かわいげもないので、
お世話もこれきりだと離婚または別居する例もある。
猫に生活力がないものなのだろうか。あるのだろうか。
野良猫はどうかして生きているし。

コメント

タイトルとURLをコピーしました