自己愛性パーソナリティ障害
自己愛性パーソナリティ障害の症状
誇大性
自己愛性パーソナリティ障害の患者は自分の能力を過大評価し、自分の業績を誇張します(誇大性と呼ばれます)。自分が他者より優れている、独特である、または特別であると考えています。患者が自分の価値や業績について過大評価する際、しばしば他者の価値や業績の過小評価も行います。
特別であるという空想
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
賞賛されたいという欲求
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過剰なまでの賞賛を受けないと気がすまないため、その自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
自己愛性パーソナリティ障害の診断
具体的な診断基準に基づく医師による評価
パーソナリティ障害の診断は、通常は米国精神医学会が発行している精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)第5版(DSM-5)に基づいて下されます。
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛されたいという欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
・自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
・途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
・自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
・無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
・特権意識をもっている。
・目標を達成するために他者を利用する。
・共感性に欠けている。
・他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
・傲慢かつ横柄である。
また、症状は成人期早期までに始まっている必要があります。
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例えばこんな話を聞くだろう。患者はバスに乗って座っている。周囲のことを全く忘れて携帯電話でおしゃべりをしている。妊婦と年老いた身体障害者がそばに立っている。患者が席を譲ることは決してないだろう。共感が足りないと説教しても無駄である。聞き入れるはずがない。
誇大的な幻想を捨てるようにとか、「特別配慮の欲求」を減らすようにとか、期待しても無駄なことが多い。
きわめて自然に自己中心的にふるまう。お互い様の原則が欠如している。あなたも相手も普通の人ですと説得しても無駄である。
その人の心の中には、自分にとって都合のいい他人しか、存在しない。他人は一種の道具に過ぎない。人格の尊厳を信じていない。自分の自尊心を満たし、自尊心を保持するためなら、他人を利用して捨ててもよい。
普通の人にも意地がある、他人にも自尊心があるなどとは考えたこともない。
誰にも共感しない。自分は特別だから何をしても許されると思っている。そんな自分を称賛しない他人を許さない。自分を称賛しない人に対して、傲慢に他罰的に権力をふるい、利用して捨てることがある。共感性のなさに周囲は驚く。
なんとかという有名な人と仕事をしたとか、大変地位の高い人と知り合いになったとか、昔はすごかったとか、いろいろと言う。集団内の序列を決めるマウンティングの激しい形かもしれない。
少しのうぬぼれは良い方向に作用することもある。自分はこんなことでは満足できないと自分に高い要求を課するのも悪いことばかりではない。しかし、他人に高い要求を課するのは間違っている。やはり他人の気持ちや他人の立場になってみることが重要だ。
孤高で、他人からの賞讃を一切求めないなら、それはそれで円満である。自己評価について誤った現実認識をしていて、それを他人に押し付けるのでは、うまくいくはずがない。
自分の特別な才能(と信じていること)を無視されたり、(幻想の)自尊心が損なわれたときの心理的傷つきは非常に大きい。しばしばうつ状態に至る。
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実力と人徳があれば自然と周囲の人に尊重されるのであるが、実力も人徳もない場合は、本人が期待したほどには尊重されない。そのギャップに苦しみ続けることになる。たいていの人は平均的な人なのだから仕方がないことだ。どうしてそのように思い込むのか。何度心が傷ついても認識を訂正できないのはなぜなのか。
早々に隠遁して自我の傷つきを回避することがある。批判にさらされない場所で、自己満足だけを頼りに生きる。他人の迷惑にならないなら、よい選択かもしれない。
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自己愛という概念が、歴史も浅いし、言語習慣として成熟していない。
カーンバーグ、コフート、ギャバードなどの解説が代表的で説得力があると言われている。
しかしそれも、ナルシスト、ナルシスティック、ナルシシズム narcissism、ナルシシスト、といった言葉の系列では、ギリシャ神話のナルキッソスが由来だから、日常言語からは遠く離れている。泉に映った自分の姿に恋するという呪いを受けた人。
日本語ではうぬぼれ、自己陶酔などがある。ナルシスナル君と言ったりもする。うぬぼれという言葉は日常語であるが、侮蔑的である。
narcissist はナルシシストと表記されるが、ナルシストでも通じる。通じるし、誤解もないので、無教養と言われるだろうが、それでも良いと思う。
narcissism はナルシズムと略記されても通じる。無教養にはかなわないのである。
そもそも、形の見えにくいもので、定義しないとよく分からないものだし、誰かが誤解して解説していても、間違いなのかどうかを実験で判定することもできないようなものだ。厄介である。
しかし説明されてみると、たしかにありそうだし、そんなタイプの人がいるようでもある。
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ナルシシズムのパーソナリティ変数として、リーダーシップ/権威、優位性/傲慢性、自己陶酔/自画自賛、搾取性/権利意識の、4要素が挙げられている。
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ホッチキス・サンディーは、ナルシシズムの7つの大罪を示している。
1.恥知らず: 恥は、すべての不健全なナルシシストの下に潜む感情である。彼らは健全な方法で恥を処理できない。
2.呪術的思考:ナルシシストは「魔法の思考」として知られる認知の歪みや錯覚を使って自分自身を完璧と見なす。彼らはまた、他人に恥を「掃き出す」ために投影を用いる。
3.傲慢:自我収縮を感じているナルシシストは、他人の衰退、脱走、堕落を知ることで、自我を「再膨張」させることができる。
4.羨望:ナルシシストは「軽蔑」を使用して他人の存在や業績を最小化することで、他人の能力に直面した際に優位性を確保する。
5.権利意識:自分が特別であると考えているため、ナルシシストは特別有利な扱いやノーチェック・パスなど、根拠のない期待をしている。彼らは求める承服がなされないと、その優位性への攻撃だとみなすため、周囲からは「厄介な人」「困難な人」とみなされている。ナルシシストへの意志の抵抗は、自己愛の傷つきとして自己愛憤怒を引き起こす。
6.搾取:他者の気持ちや関心に関わらず、ナルシシストは常に他者を搾取する存在であり、それは様々な形となる。それはしばしば抵抗が難しいか、不可能な立場の人をターゲットとする卑劣なものになりうる。時には従順になるがそれは本心からではない。
7.境界線の不全:ナルシシストは他者との間に境界線があることを理解していない。他人とは別個の存在であり、自分の延長線ではないことが分からない。己のニーズを満たさない他人は、存在しないのと同じである。ナルシシストに自己愛を供給する人々は、ナルシシストの一部として扱われ、主人の期待に応えることが要求される。ナルシシストの心には自己と他者の境界はない。
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自己愛憤怒は有名
Narcissistic rage
自己愛的傷つきはジークムント・フロイトによって1920年代に用いられた用語である。また、自己愛的怒りという用語は、1972年、ハインツ・コフートによってつくられた用語である。
自己愛憤怒とは、自己愛性パーソナリティ障害の人の特徴としてみられる、反射的な怒りのことを指す。
【自己愛憤怒の症状】
自分が傷つくことを恐れているため、激しい怒りを表す
相手に攻撃を向けることで自己防衛をしている
思い通りに行かない時は、他人のせいにしたりすることが多い
質問に答えてもらえないと「無視された」と言って怒る
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こうして眺めてみると、やはり集団が前提のものであり、超越の次元とは無縁のものなのだと思う。
もともとの話で、ギリシャ神話のナルシッソスは泉に映る自分に恋をしたのだから、他人なんか関係ないとも思われる。他人など一切関係なしに、自分の姿への恋を貫けばそれでよいではないか。なぜリーダーシップ/権威、優位性/傲慢性、搾取性/権利意識などが問題になるのだろう。自己陶酔/自画自賛が、もともとのナルシッソスの根本ではないだろうか。
ナルシシズムが遷延すると、オートエロティシズムが成立する。ナルシシストは自我を刺激して喜びを得ることに慣れ、普通の性行為よりもマスターベーションと性的妄想を好むようになると説明されるが、その場合の、マスターベーションと性的妄想においては、他者が存在せず、自分に恋しているのであるから、自分自身との性愛的妄想になるのであるが、そんなものは実際、想像もできない。何を言っているのだろうか。自分の映像を見ながらマスターベーションをするのだろうか。
現在の考え方では、自分が優越していることを他人に無理やりにでも認めさせたいと思っていて、そのことで他人は迷惑するし、ひいては自分も傷つくことが中心のようで、どうしても他人との関係が必要なようだ。ナルシッソスはそんなことはしなかったのに。