音楽は言葉では表現しきれない複雑な感情体験である
なるほど
所詮は音の組み合わせであるから、それが人間の脳に何を引き起こすかは、難しいところがある。
温かい音楽とか、崇高な音楽とか、そのような表現がある。
共通感覚が関係している。
黄色い声。冷たい態度。辛い評価。冷たいという形容詞は本来、温覚の表現であるが、それを人間の態度に応用して、「冷たい態度」などと言う。こうした表現については、よく考えると説明しにくいのであるが、分かりやすいことは確かに分かりやすい。
30分くらいの音楽を聴いたとして、作曲家、演奏家、調律師、録音技師、その他、いろいろな人が関係して成立している。また、宣伝係もいる。宣伝がうまいと、いい音楽に聞こえたりする。音はきっかけで、感動が結果であるが、その真ん中に、価値観とか先入観とがある。
ベートーベンなどを聴く。フルトベングラーの古い録音を聞いて、なるほどと思ったりする。まっすぐに感動する場合もあるが、世間の「よい子」はこんなものに感動するのか、このように立派に生きようとするのかなどと余計なことを思ったりもする。よい子が、不撓不屈とか、向上心とか、言い出しそうな音楽である。くだらない部分も大いに含まれている。
「新世界」については、ネーメ・ヤルビィの録音を昔よく聞いた。カセットテープで聞いていたので、テープが伸びたかもしれない。それを別のカセットテープにダビングしたりしたりしたせいか、テンポが少し変化したのかもしれない。それが私の耳にはなじんでいて、独自の音楽になっていたと思う。私にとってはそれでよい。長男のパーヴォ・やルビィの新世界も聴く。新しいものは録音がよい。
感情を伝えるなら、小説の形で、人物を設定して、どのような体験をしたか、言葉で伝えることもできる。それでもかなり複雑な感情を伝えられる。言葉で表現するしかない感情がある。
映画ならば、映像で分かりやすく伝えられる。映像でしか伝えられない感情がある。
音楽は、小説や映画のように感情を伝えるのではないが、別の回路で感情を伝える。音が感情を伝えるということは、能率が悪くて、伝達が不安定で、困ったようなことであるが、だからこそ、複雑な事情になる。
感情を伝えることとは少し違うが、バッハなどは、「明晰さ」などを伝えているようにも思う。my mimdを good order にするとかの感覚だ。
耳からの音が、脳を調律するのだろう。脳神経細胞に作用する。神経伝達物質を調整すると言えば現代風なのだろうか。
感情的に聞く人もいるし、思索的に聞く人もいる。