濃密な時間を生きる人2008-02-26

人生は長く生きればいいというものでもない。
それならば、若くして死んでしまった人はかわいそうすぎる。

人の話を聞いていると、
「この人はよくひとつひとつ考えて生きている」と思うことがある。
時間を濃密に体験しているのである。

なにが違うのだろうかと考えている。

このような人は、ぼんやりしている人の何倍も人生を生きているはずで、
20年しか生きなかったとしても、
この世の思い出は60年分くらいありそうな気がする。

言葉で言えば、
物事の内的連関を感得する
というあたりかもしれない。

しかしながら、
体験を言葉で伝える能力がないと、
このように他人に感じさせることはできない。

人間は他人に話をするために生きているのではないのだから、
人生を濃密に体験していても、
別段誰に話すでもない人がいくらもいるのだろう。

体験する能力と、表現する能力は、別のものだ。

体験する能力といっても、
深く体験して、脳の奥底に大切なものが刻印されたとしても、
それを他人に話さないどころか、
自分でも実感していない人だっているだろう。

それでも、脳のどこかにしっかりと刻まれている。

そう考えれば、みんな平等に、深く体験しているのだとも思う。
何しろ同じだけの時間を生きているのだから。

食べる量も、歩く量も、たいして違わないのだから、
多分、体験の深さも、あまり違わないのかもしれない。

それをうまく表現できる人と、表現しない人と、表現できない人と、
表現の必要を感じない人と、いろいろいるのだろう。

作文に書くことが一杯あった夏休みと、
そうでなかった夏休みと、
あるな、やっぱり。
そう思う人は人生に対して受動的なのかもしれない。
能動的な人は、楽しいことがなければ、見つけようとするだろう。
結局、作文は楽しいものになるだろう。

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