進化と文化と模倣
人間の場合の進化メカニズムと、神経系がさほど発達していない生物の進化メカニズムの違いについての説明で、メモ。
たとえば飛んで火にいる夏の虫といわれる蛾を例にとると、
蛾の場合、DNAが「明るいほうに飛んでいけ」とプログラムされているので、
火に向かって飛んで行ってしまう。
その結果、火に焼かれて死んでしまう。
神経系がもう少し発達してくると、「明るいほうに行く」のがよいけれども、「明るいけれど熱いときは近づかない」というようにDNAプログラムを複雑にできる。
さらに複雑になると、個体の経験として、明るいのがよいのか、熱いのは悪いのか、試行錯誤して学習して、自分に有利な行動を選択できる。
蛾の場合は、どのような行動選択をするかはほぼDNAによって決まる。DNAの違いが行動の違いになって、生存率の差につながる。そのようにして、DNAは環境に対する戦略を選択している。その結果、能率の悪いDNAの個体は早くに死に絶えることになる。
ヒトの場合は、DNAに書かれているのは、「試行錯誤して学習しろ」だけであって、明るいとも熱いとも書かれていない。このようにすれば、環境に対しての適応は爆発的に改善する。いちいち、「このDNAはダメだ」との理由で死んでしまう必要がない。「この行動戦略はダメだから、別のことを試行してみよう」となる。脳が発達していれば、適応できないからといって、いちいち死ぬ必要がない。
ここまでが、従来の進化論とヒトの脳の説明だ。
ここに「文化」を付け加えて理解することができる。
ヒトは環境への適応を試行錯誤して学習するのであるが、個々人が別々に試行錯誤して学ぶだけではない。
集団として見た場合、誰かが試行錯誤の結果学習したとすれば、その成果を集団内で共有すれば、非常に効率の良い適応が可能になる。
芋を水で洗うとか、肉を焼くとか、そんなことだ。
つまり、集団内に一人だけ試行錯誤と学習のうまくいった人がいれば、あとの大多数はそれを模倣すればよい。大多数の人の場合、試行錯誤と学習の必要はない。ただ成功者を模倣すればよいのである。これが、集団内で維持され同時期の同胞にも、次世代の成員にも伝達される、「文化」と言われるものである。
アメリカの模倣をしてアメリカを追いかけてきた日本のような話だが、日本が一番だと意地になって現実を見ないよりは、さっさと模倣して追いついたほうが賢明だろう。
新規開発者よりも模倣者のほうがたぶん全体としては人生が容易だろう。
つまり、
1.DNAを変化させる。例は蛾。効率の悪いDNAは死滅。
2.試行錯誤して学習する。ヒト。死ななくてよい。
3.もう少し細かく観察すると、その人に試行錯誤してよりよい適応を発見する能力がなくても、集団内の誰かの成功を模倣する能力があれば十分である。DNAの命令は、「うまくいっている人を模倣しろ」ということになる。それが言い方を変えれば「文化」であることになる。つまり、DNAとして適応戦略が記録されるのではなく、DNAの外部に、文化として、蓄積されて、それがヒトの適応を改善する。少しの改善ではなく劇的に改善する。
アメリカのGAFAMなどは2.の試行錯誤により、新規なものを獲得する例である。苦労はあるが、全体の進歩には決定的に必要なものだ。
しかし、これを模倣する戦略を採用すれば、もっと効率よく生きることができる。
たとえば、猿の観察で、集団内で一匹のサルが食べ物を海水で洗うことを歯止めると、しばらくして、集団内にそれが広がる。食べ物を海水で洗ってから食べると、きれいになるし、塩味もつくので有利らしい。
また例えば、鳥の鳴き声は仲間同士の通信に使われているものがあり、それはDNAで完全に規定されているのではなく、方言が存在するらしい。つまり、その時その場所の「文化」を受け入れて、その方式で情報伝達している。DNAによる決定と、文化による決定との割合の違いはあるのだろうが、鳥の場合はそのようになっているらしい。
以上から考えると、ヒトの場合の、模倣する能力は非常に重要で、それが文化継承につながっているし、いちいち不適応なDNAは死ななくてもよくて、適応した個体の模倣をすればよいことになる。
言葉を変えると、
1.DNAによる選択。
2.脳の試行錯誤と学習による選択。
3.文化を模倣することによる選択。
ということになり、
「模倣による行動改善」は非常に効率がよい。
特許権とか意匠権とか著作権とかが言われ始めたのはヒトの歴史で言えばつい最近のことだ。
お金で報われようとするのは当然との考えになっているが、発明は集団の財産であって、個人の財産ではなかった。個人の財産と決めることで、開発者の動機づけになると考えられているが、最近の医薬品の途方もない開発費と販売価格を見ていると、それで当たり前なのかなと思ってしまう。誰かが発見したら、みんなで模倣して、みんなが幸福になるはずだ。自分の発見したものは模倣されたくない、使用料を払えと言うのも大変ななしだ。誰がどこで模倣しているかを見張る必要が出てくるし、登録して法的に保護する必要も出てくる。
商品の名前などを大量に出願しておいて、企業が必要な場合には販売して利益を得るというようなことをしている人たちもいる。
知的財産のこととか弁理士の仕事など、このように人類の進化の観点から考えると、はたして正当なことなのかとも思う。
DNAとしては個人の利益よりも集団の利益を重視しているように思われる。とすると、知的財産権などは放棄して、みんなが幸せになるほうがいい。
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また、模倣と言っても、結果の丸ごとの模倣と、その方法論の模倣とか、内的構造の模倣とかなれば、どこまでが開発者の権利なのかはあいまいになるのではないか。そのあたりは法律で細かく決まっているのだろうと思うけれども。
医学の場合、薬剤に特許は認められるが、新しい術式とか、そういったものには特許が発生しない。Aの薬の後でBの薬を使えばよいとか。心臓手術の方法とか。トミージョン手術とか。特許のような独占的なものとして扱うことができないこともいのだろうが、やらない。面倒だからでもあるが、他に収入があるからでもあるだろうか。
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ヒトの模倣するという特性が転用されて、流行という現象が発生する。