くじらを捕獲する人と分配する人
・我々の社会はたとえて言えば「くじらを捕獲する人」と「分配する人」が分かれている状態だと思う。
・漁の名人がくじらを捕獲してきたとして、独り占めしていたのでは腐ってしまうので、分配することになる。
・漁の名人は分配の名人とは限らないので、多くの場合は対人関係を有利に築くことができる人が分配係になる。いくつかの陣営の利害対立を処理できる様な能力を持った人である。
・支配者は漁の名人ではなく、利害対立の調停ができる人である。暴力や言論、他人の弱みを握るとか、義理人情とか、貸し借りでもいい、調和でも強制でもいいのでとにかく何かの力によって納得させる。
・くじらを捕獲する人は、概して、くじらを追うのが好きなのであって、それを原資にして人々を支配しようなどとは思っていないことが多い。
・分配の場面で活躍する人は、他者へのアピールがうまく、扇動したり、主導したりする。
・分配する役目の人には正義と公平が要求されるが、実際には聖人であることは難しい。自分の気に入った人や借りのある人に手厚くする傾向がある。公正さのほかに気配りもあれば人気が出てカリスマ的になれる。しかしその人は実質、何も産み出していない。
・とはいうものの、分配する人が、教育に手厚く考えるか、福祉に手厚く考えるかなどで集団の将来は違ってくる。
・何かの都合で分配する役目の人がいなくなっても、くじらがあれば、誰かは生き残ってゆける。しかし、漁の名人がいなくなれば、くじらの捕獲そのものが困難になるので、分配の名人も、分配するものがなくなる。
・本来なら、くじらを捕獲してきた人が、直接、自分の判断で分配すれば、もらえなかった人も、ある程度納得できる。しかし漁の名人は人間関係や利害の対立を解決できるわけではない。
・くじらを捕獲する人と分配する人が分離しているのが人間の社会である。プロ野球や相撲で見られるように、漁の名人が年配になって分配する人になる制度もあるが、うまくいかないことも多い。
・分配する人は、捕獲する人が身近にいれば感謝もするだろうけれども、間接的にしか知らない場合、漁の苦労などは実感できないだろう。
・農業、工業製品メーカー、プログラマーなどが分かりやすいくじらを捕獲する人である。くじらの一部を税金を徴収して分配するのが財務省やそれに連なる政治家などである。