料理については自己流でいろいろ試行錯誤しつつあるのだが
感想もある
今までは野菜を切りつつ、肉をいためつつ、調味料は順番にフライパンに入れつつ、
でやっていたのだが、たいしておいしくもない。
ミールキットをいろいろ試してみると、
たいしていい食材でもないのに、最終的に簡単においしく出来上がる。
不思議だなと思って、試しにやってみた。
まず自分でミールキットを作るような気分で用意する。
フライパンに投入するタイミングを基準にして群を作り、
野菜も肉も魚も切って下味をつけて、用意する。
群ごとに皿に入れる。
調味料も混ぜ合わせて用意しておく。
そして、フライパンで炒める順番とタイミングと火加減に集中する。
すると、案外楽においしくできる。
これにもっと習熟したら、このように下準備しなくても、
うまく調理ができるようになるのだろう。
このようなことをすると、
まず肉を入れて、そのあとに、火を通すのにかかる野菜も、すぐに火が通る野菜も、一緒に入れて、炒める、などということが野蛮だと思うようになった。
肉は肉で適切な火加減とタイミングがある。
後に入れる野菜に火が通るまで炒めると火が通りすぎる危険がある。
固くなるだけで害はないけれども、残念だ。
そうなると、肉だけ炒めたら、いったん皿に取る。
次に野菜を一品ずつ炒めて、皿に取る。
そのあとで、総合的に混ぜて、調味料を入れて、味を調整する。
それが正しいのではないかと思う。
自分で食べるものだから、そこまで細かくしなくても、
大雑把でいいじゃないかと思うけれども、
また、
いっぺんに炒め始めて、火が通るタイミングが揃うように、
それぞれの具材の大きさとか下準備を調整すればよいのだが、
それをするためにはやはり熟練が必要だろう。
ジャガイモよりも人参は固いので、小さ目に切るとか、薄く切るとか、
そうでなければ先にフライパンに入れるとか、工夫がある。
また、同時にフライパンの中で同時に炒めることによって、
肉のうまみを野菜に移すとかも言われる。
しかし、どうせ皿の中で混ざるのだし、
最終的には口の中で噛んでいるうちに混ざるのだから、
うまみが複合するとかの話もどうかとも思う。
グルタミン酸とイノシン酸が化学反応を起こすわけでもないだろう。
肉から出た脂で野菜を炒めるという発想は、実は今日もやったけれども、
そんなに強調すべきでもないように思う。
それぞれを良い加減に火を通し、最後に混ぜるという発想でよいように思うのだが、
そうでもないだろうか。
人によっては、肉を使うときに、まず湯通しして、スーパーのパックに入っているうちに増えた雑菌などを洗い落とすのがよいと言ったりしている。野菜も同様。
多分そうだと思う。しかし面倒だ。かなりの
また野菜については、水や熱に触れることで、色の鮮やかさが失われたり、水溶性の栄養成分が失われたりすると説明されるし、一方でシュウ酸など、洗い流した方がいいものもある。
それぞれに配慮が必要と言い出す人もいる。
確かにそうだろうと思う。
しかし面倒なことを言うものだと思う。
古代人のように、たいていのものは火であぶって焼く。素朴である。塩や胡椒は文明である。海水を使えば塩味にはできただろう。大豆製品である醤油や味噌はかなりの文明である。何しろ、
多少なら何を食べてもいいのだし、
大体現代人は何を食べているのかよく分かっていないだろう。
ラベルにいろいろ書いてあるものもあるが、
それは嘘ではないとしても、書かれていない多くのことがあるはずで、
それを知られるようになったら、子供には食べさせたくないと思ったりするのではないだろうか。
確かに、相当怪しげなものを口にしているのである。
レストランなどでたくさんのメニューがあって、注文に応じて、多彩なものを提供することは、
食材の準備や保存の点で、なかなか大変なことであり、
一番いいのは、「シェフにお任せ」とか、本日市場でいいモノが入りましたのでそれで行きましょうとか、今日イベリコ豚が入りましたのでとか、そういうものだろうと思う。
冷凍しておけばいいものもあるが、解凍に時間がかかる。
パスタなど茹でるものはそれなりに時間がかかる。
時間を短縮するために、客には知られたくないような工夫をするのだろう。
醤油とみりんと酒と砂糖と塩と胡椒、ニンニクとショウガ、唐辛子とオリーブオイル、ごま油、菜種油、頻度は少なくなるが酢、味噌。
なくてもいいけど、オイスターソース、豆板醤、甜面醤、ナンプラーなど。
たったこれだけでいろいろな味を決められるのも不思議なことだ。
決められるというか、ほぼ全部に、塩、コショウ、そしてときどき醤油、これで日本人の食事はできてしまう。
素材の味が悪い時は調味料で味を化粧する。
悪くするとどれも同じ味になる。
しかしそれで特に困難もないようで、そういうものだと思って食べているのだろう。
親の作ったものを食べるのが子供だから、子供時代の子供の味覚の決定権は親にある。
そう考えると、なるべく薄味で、少量の野菜を食べて終わりとかが理想である。
糖質を少なくしてたんぱく質を多くするなどが最近は言われている。
100歳まで生きたおばあちゃんの食生活を振り返ると、
白米と白菜の漬物、あと、時によって魚の煮つけ。
それで100歳を超えることが実証されているので、
べつにたんぱく質を多くしないといけないとか、
糖質を減らした方がいいとか、神経質になる必要はないだろうと思う。
曾祖母も祖母も100歳を超えて長生きしたが、
口癖は、腹いっぱい食べなさい、だった。
太っている方が健康という感覚だった。
食が貧しい時代に生きた人だからと思っていたのだが、
最近になって、白菜の漬物のおいしさを発見したりしている。
確かに、炊き立ての白米と、白菜の漬物はよくなじむ。
料理の動画を見ていてどんなフライパンを使っているのかとか、
包丁やまな板、すりおろし器など、気になる。
フライパンについては、鉄、ステンレス、鋳物、フッ素加工など、
長所短所があると言われている。
使いやすいのはフッ素加工のものだし、現在はフッ素の有害性も否定されているので、
数年で交換しながら使うのも悪くない。
しかし鉄、ステンレス、鋳物については、それぞれに特徴があり、捨てがたい。
以前、鉄の話の動画があって、鉄鉱石からコークスで溶かして、どうするとか、刀鍛冶の役目とか、見たことがある。
フライパンの場合、食材がくっついてしまうことが不便な場合がある。フッ素加工はその点で実にありがたい。
それに対して、鉄、ステンレス、鋳物、それぞれ、食材がくっつきやすいのであるが、焼き方があって、それを実践すれば、それほどくっつかないようになる。
十分に加熱する方法とコールドスタートがある。
刀鍛冶は鉄を熱くして、それをハンマーでたたく。その時、鉄の分子がどのような挙動をするのか、説明されていた。
フライパンをまず十分に加熱して、そのあと少し温度が下がったところで食材を入れる、そうすればこびりつかないなどの説明がされているのであるが、これは、最初に十分に加熱して、そのあと食材を入れるということは、フライパンの表面の分子の並びが熱によって変化し、その時、分子間の隙間が開いたり閉じたりして、開いたときに食材の部分が入り込み、くっつく。そうしたことを繰り返していると、だんだん熱をあげても食材が入り込みそうな分子の穴はなくなっていく。そうなるとフライパンを育てたということになるのだろう。
しかし熱して、油をひいて、炒めて、それを繰り返すことで、なぜこびりつかないフライパンが出来上がるのか。鉄分子の間には隙間があって、熱、油、食材と繰り返されることで、隙間が埋められてゆくのだろうか。
鉄とステンレスについてはそのように思う。鋳型はどうなのだろうか。
鉄の分子と分子の間には隙間があって、加熱すると隙間が大きくなる。そこに油や食材の分子が入り込んではまってしまう。熱を下げれば、隙間は閉じようとして、油や食材の分子が残り、それがこびりつきになる。丁度良い大きさの分子が入り込むと、穴はふさがれて安定する。
このようにして、こびつかないフライパンが育ってゆくのではないか。
つまり、こびりつきの穴をおおかたふさいでしまったフライパン。
そうだとしてら、メーカーはその問題の穴を何とかふさごうとするだろう。フライパンを十分に熱して、丁度良い小ささの分子を入れて、冷ます。それだけではどうにもならないのか。
コールドスタートとかもある。原理は分からない。
醤油でコーティングするという記事もある。
長時間かけてフライパンを成熟させるというなら、その部分はメーカーの方で何か工夫したいのだろうけれど、できないものなのだろう。それに、安価で使いやすいフッ素加工があるからそれでいいのだろう。
ステンレスフライパンとステンレス鍋の魅力は、大掃除だと言って、重曹などを使って、ピカピカに磨きあげることができることだ。数年ぶりにやってみたら、ステンレスが蘇ってきらきら光っていた。
夏だというので、そうめんを茹でて、納豆と混ぜて食べた。ただ混ぜただけ。十分においしい。素材の味がよくわかる。
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いろいろなスムージーを作って飲んでいる。
小松菜、バナナ、黄な粉が基本。ほうれん草はシュウ酸のことがあって敬遠。水を半分くらい、豆乳を半分くらい、ときにピーマンを入れる、ときに人参を入れる。はちみつ、アスパルテーム、など甘みを入れることもある。冷凍したフルールなどを使うと冷たさを調整できる。凍らせた人参も使える。キュウイやリンゴは使わない。おいしいだろうけど。