奈良の大仏を建立した天皇はどんな気持ちだったのかと考える。
当然のことだが、自分には呪術の力があって、飢饉も防ぎ、日照りには雨を降らせ、疫病退散、身内の裏切り者を成敗し、なんていうことはとてもできないと身に染みて認識していたはずだ。
そのころ先進国中国では古来の呪術を捨てて、インド伝来の仏教を採用し、国家安寧を願っていた。日本としては、当然、その先進的姿勢を採用しなければならなかった。そうでなければ、他の一族が仏教勢力の代表となり、結局、国家を支配するからだ。
しかしその時点で、あまり苦しまなかったのは、自分に呪術的な力があるとは感じないような、常識人であったということなのだろう。
血反吐を吐きながら何日も雨ごいをして、まあ、最終的に雨は降るだろうからすればいいけれども、苦労した挙句、雨は降ったが遅すぎるだの、仏教ならもっと早く雨が降っていただの、言われるに違いないのである。割に合わない。
そんなこんながあって、いっそ自分が仏教に帰依したほうが、統治にも都合がいいし、死後に極楽浄土に行けるような気もするし、仏教徒になっちゃったということなのだろう。
そんなことして、つじつまが合わないだろうなどと言う人はいなかったと思う。飢饉、疫病の方が怖かったからだ。それに、あの本にはちょっと無理筋のほらが書いてあるとみんな知っていたからである。何しろ、中国古典漢文が基本教養だから、日本神話の類はできの悪い田舎のお話に過ぎないと認識していたと思われる。そんな話を真面目に考えそうな人はそもそも文字を知らなかった。文字が読める程度の人はからくりを知っていた。
そのような環境であれば、なにも役にも立たないお話に忠義立てすることはない。実利を取る。というような気持だったのではないかと思う。