昔、物知りの人から聞いた話。
粒の大きめの小豆の品種のひとつに大納言というものがある。
この豆は、煮ても煮崩れしにくく、皮も破れない。
皮切れしないことから、切腹しないと連想された。
大納言まで偉くなると、罪を犯しても、切腹しなくてもいいことにちなんで、大納言と呼ぶようになった。
この豆を腹切れのない豆と認識したものであるが、
庶民は、罪を犯しても咎められず、切腹もしなくていいものかと、感慨も込めてたかが小豆を大げさに大納言と呼んだものだろう。
特権階級である。
フランス革命のころの話。太陽王がベルサイユ宮殿などで散財して、フランス王室にはお金がなかった。
マリー・アントワネットのころ、王は錠前づくりに精魂を傾け、財政困難に直面した。
税金を少し上げましょうということになった。
当時は僧侶、貴族、平民の三階級があり、僧侶と貴族は税金を免除されていた。
増税にあたり、平民としては、この際、僧侶と貴族にも税金を払ってもらおうと考えた。
僧侶と貴族は税金は払いたくない、平民からもう少しだけ絞り取ればいいだろう、と思ったが、平民は気分を害すると暴力に及ぶので、平和に決めようと思ったらしい。
しばらく開催されていなかった三部会が招集された。投票で決めるならいいだろうというわけである。
平民も、それなら投票で決めようとの機運になったのだが、
実は、投票の仕組みは、まず僧侶の中だけで投票して、増税反対に賛成多数なら、僧侶全体で、1票。貴族も同じ、全体で1票。
平民は、内部で投票をして、増税反対が多数なら、反対票が1。
すると、2対1で必ず僧侶・貴族の連合軍が勝ち、平民が負ける。2対1は動かしようがない。三部会で決めたのだから、王の横暴でもない。
平民としては、なんだそれは、特権階級の既得権益ではないか。納得できないというわけで、テニスコートの誓いに至り、バスチーユ牢獄襲撃、こうして暴力革命になる。
丹波大納言小豆を検索してみると、
「春日町誌」には「大納言は殿中で抜刀しても切腹しないですむ」と書かれていると紹介されている。
大罪でも死刑は免れた。
日本の大納言も、フランスの貴族も僧侶も、特権階級というものはいつでもどこでも存在する、そのようなものだ。
ましてや今回の日本の自民党の議員たちが、パーティ券収入について、4000万円までなら見逃してもらえるという、大納言やフランス革命の話に比較すると小粒な話ではあるが、ありそうな話である。
日産のゴーンはベルサイユ宮殿で結婚式を挙行したというから、貴族みたいなことをしているが、実際は貴族ではなくて、罪に問われて逃亡している身である。貴族なら免罪特権もあっただろうが。
免罪で思い出したが、免罪符(最近では違う翻訳語を当てているようだが)はいまでいえば壺とかであるわけで、昔も今も変わっていない。そしてバチカンに蓄えられた富を思うとき、思いは複雑である。