不安や抑うつや妄想や幻聴などは、程度がひどくなると病気と診断されるが、
こうしたことは病気ではない人の心理に関係がないとは言えず、
むしろ、普通に生きている人の心の中にも、不安、抑うつ、被害妄想などの要素は、
断片的にではあっても、あるいは、系統的にかもしれないが、
たくさん入り込んでいると思う。
そうしたものが人の心の、本来の良い働きを大いに妨害していると思う。
普通に生きていると思っている人の場合に、
心の表面を曇らせる要因の一部として、不安、抑うつ、被害妄想などの要素の断片があって、
そのせいで心が曇って、本来の健康的な精神生活が多少とも損なわれているような気がしている。
病気と非病気の境界は明確ではなく、その要素が濃いか薄いかだけのようだ。
心の表面だけが曇っているとすれば、残念なこととはいえ、まだ害は少ない。
心の奥深くまで、不健康な状態も考えられ、
それでも、現代人として普通だと認識している場合もある。
アルコールが精神に与える影響などについて、
先祖代々、人間とはそのようなものだと考えている人も多いのだろう。
未開部族の人たちが大変派手な彩色を皮膚に施している場合もある。
カルトと認定されれば、反省も生まれるが、
周囲も全員カルトならば、それに合わせるしか、生きようはないだろう。
心が澄んで明晰な人にとっては、この世界は耐え難いのかもしれない。
多少混濁していて、酔っていて、忘れやすい程度が、よい適応なのかもしれない。
身の回りではいつでも事件が起こるわけではないが、
ニュースの中では、いつも事件が起こっていて、
たいてい、人の心の混濁がかかわっている。
いつも大雨の後の川の水のように濁っている。
それでいいのかと思うが、そのくらい濁っているほうが、適応的なのだろう。
やたらに心が澄んでで明晰でという人は暮らしにくい。
大半の人が酔っているなら、各個人も、同じ程度によっていたほうが暮らしやすい。