研究とは何か

研究とは何かを説明します。

仮に、私が、人間の精神機能の最も最先端の発達部分、
つまり、アガベとか博愛とか、慈愛とか利他主義とか思いやりとかを調べようと思ったとして、
隣人愛を実践している人がどのように幸せになるのかを調べたいわけですが、
直接の脳神経科学的な、あるいはさらに生化学的なメカニズムの提示はできそうもないので、
統計処理できるように、何か数字で結果が出るものを探します。
すると、脳波とか、脳血流量とか、重要かどうかは二の次として、とりあえず測定可能なもの、測定しやすいもの、を結果として提出してしまうわけです。
科学的でなければ、格好がつかないから。
座禅したらα波が増えたとか、言うんですが、
だからどうなんだというのが、本当の専門家の意見ですが、
専門外の人は、座禅とはどんなものかについてもあいまい、脳波についてもあいまい、
でも何となく(NHKがNHKスペシャルで繰り出す、得意の)最新科学の成果なんだなと思わせるための
道具立てであるわけです。
私には脳に関してのNHKの最新科学がでたらめを組み合わせて成果だと言い張る専門家が
なわばりを守り抜くために定期的に話題を提供しているんだなというくらいは分かりますが、
たとえば宇宙開発とか、海底資源とか原子力発電所とか、環境問題、気候異変、地域紛争、金融、など
ただ番組の提供するものを、半分鵜呑みにしつつ、わずかに抵抗して分析するという程度しかできないわけです。

NHKスペシャルには、なぜか、アメリカの、名も知られていない研究室の、名も知られていない学者が登場して、
話題になっていると称する、最新科学の成果を披露するのですが、
そんなことより、どんな論文なのか、それを詳細に分析してほしいですね。
STAP細胞で話題になった、論文執筆のプロの先生のような人に分析してもらえばいい。
でたらめを立派な論文に仕立て上げて、政府の予算を誘導するような能力がある人なら、
ある程度正確な評価もできるかもしれない。

少し話がずれましたが、
測定しやすいものを提出して、何かの成果のように見せかけていることが多すぎる。
科学的であるという粉飾。

例えば、夜道のどこかで鍵を落としたらしい。探さないといけないと思って、
街灯がついて明るい場所だけを探しいている。
それで何が見つかるんですかね、蛍光灯をもって、暗い場所も探す必要があるのではないですか。

それはみんな承知しているのだが、そのような、基本的な測定道具の発明は、やはり天才にしかできないんですね。
凡人は、今できるものを組み合わせて、あるいは、アメリカに留学して、そこの研究室で学んだことを、
日本人をサンプルにしてやってみたらこうでしたとか言って、論文を書く。

そんなことでもしなければ、研究費がもらえない。

でも、逆に見れば、例えば、文科省の科研費の分配を決めるのは文科省のお役人さんだけど、
もちろん、専門家は知恵袋として知恵は提供するけれど、
自分たち自身が予算をもらいたい人なんだから、なんだか難しいことになる。
すると文科省のお役人さんが、東大の先生の研究費を決めるという、
原理的に不可能なことをしているわけだ。

昔ならダーウィン、いまなら鳩山さんのような、生活は心配のない大金持ちが、自分の信念に従って研究をする、それが好ましいでしょうね。て、まあ、平凡な結論ですが。

マリー・アントワネットも何かの研究をしていればよかったのに。

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