占い師には占いの方法を聴け、運勢を聞いても仕方がない。

極端な想定をすると、患者と医師の関係は、
相談者と占い師の関係か、
(たとえば)陶芸工房の弟子と師匠の関係か、
と考えてみることができる。

占い師と相談者の場合、占いの技術は相談者には伝えないのだから、
相談者には根本的な成長はない。
次に困りごとが発生したら、再び占い師を頼るだろう。

誰と結婚したらよいのか、どこに住んだらよいのか、子供はどう育てたらよいのだろうか。
占い師は占う方法を知っていて、あなたは占う方法は知らず、ただ結果を信じて代金を支払う。
それでよいのだろうか。

陶芸工房の師匠と弟子の場合であれば、
とにかく陶芸作品を作らなければ、弟子とは言えないわけで、
何か作るし、時間がたてば上達もするだろう。

占い師と相談者の関係は、
陶芸師匠と茶碗を買う人の関係に近いだろうか。

よく言われることに、魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教えなさいと言う。
国際協力の場面や、貧しい人のために社会は何ができるか、などの場面で言われる。

医師と患者の関係も、
とりあえず痛みを和らげる場面では、魚を与えればよいのだが、
その後、長期にわたり、何とかやっていくためには、魚の釣り方を教える必要がある。

病気についての原因考察と結論としての診断と対策を考えると、
茶碗を買い物に来た人には茶碗だけだけ与えればよいわけであるが、
医師と患者の関係で、人生を豊かにするためには、人体や人生についての考察の仕方を学ぶ必要があるだろう。

あなたは占い師のところに行って、自分の運勢だけを聞くだろうか、
それとも、自分の運勢を知る方法を聴くだろうか。
つまり、占い師として弟子入りを希望するだろうか。

医師のところに行って、検査してもらって、薬をもらって、生活上の注意などもらって、それで帰るだろうか。
それとも、そのような結論に至るための思考の技術を学びたいだろうか。

世間に洪水のようにあふれている間違った情報に接したときに、
自分で判断できるようになりたいと思うのか、
その都度、正誤を教えてもらいたいのか、
どちらだろうか。

NHKスペシャルなどは、大衆教育のための強力なツールであるが、
本来なら、それで利益を得る人たちが、NHKにお金を支払って、放送してもらえばよいものではないか。
なぜ、大衆は、自分が支払った金を使われて、誰かの得になり、大衆の損になる、くだらない大衆広告を聴いているのだろう。
せめて、NHKの番組の仕組みを判別できるとか、その他マスコミ各社の思惑を判定できるようでありたいではないか。
たとえば最近は美容外科の広告をよく見かける。ということは、テレビニュースでは美容外科の事故とか闇とかについては一切報道されないだろう。そんな時、何を頼りにどう考えたらよいのだろう。娘が美容外科で何かしたいとか言い始めた時、どう考えたらよいのだろうか。
少し話が脱線した。

占い師には占いの方法を聴け、運勢を聞いても仕方がない。
陶芸師匠には陶芸作成の方法を聴け、椀を買っても仕方がない。
漁師には魚の釣り方を聴け、魚を買っても仕方がない。
精神科医には精神の仕組みを考察する方法を聴け、薬をもらっても仕方がない。

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