世の中には、浅く読めばそれなりに読めて、深く読めば、深い読書体験をもたらす、そのような本がある。マルティン・ブーバー「我と汝」がそうだし、井筒俊彦「意識と本質」などもそうだ。
以下の説明は浅い側の説明であるが、深い側の体験は、理解ではなく、体験である。
たとえばマラソンの喜びを文章で要約して教えてくれというのと同じで、求めているものも求める方法も異なる。
「我-それ」の関係しか求めていないようだ。入り口としてはそれでよいと思う。しかし、その奥に、生きる時間があり、師匠に導かれる喜びがあり、呼吸をシンクロさせて上空まで舞い上がるような知的・感情的体験がある。
文章を読むという点では、要約を読むのと、作品そのものを読むのとは似ているところがある。しかしそれは、用事を済ませるために歩くとか、生命を維持するために呼吸をするとか、そんな次元の話である。歩くことを極めたらどうなるかとか、呼吸することを極めたらどうなるかとか、昔の人は暇があったのだろうけれども、さまざまに考案したと思う。
現代人は忙しくて、要約ばかり読んで、それでも忙しいので、要約の要約とか動画の要約とかを作らせて、情報を処理している。何のために生きているのだろう。そして、どうせみんな死んでゆくのは変わりがない。そうであるならばせめて、少しだけでもいいから、深淵に触れてみてはどうだろうか。
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マルティン・ブーバーの「我と汝」は、人間の世界との関わり方を二つの態度に分類した哲学的概念です。
二つの基本的態度
- 「我-汝」の関係
- 対話的で相互的な関係
- 相手を全人格的に受け入れる
- 真の出会いと対話が生まれる
- 「我-それ」の関係
- 一方的で物質的な関係
- 相手を対象化し、利用価値で判断する
- 経験や知識の対象として扱う
「我-汝」関係の特徴
- 相手を独立した存在として尊重する
- 相互の理解と共感を重視する
- 愛や信頼が生まれる基盤となる
- 人間本来の自然な関係性を表す
「我-それ」関係の問題点
- 相手を物質的価値でのみ判断する
- 人間関係が表面的になりがち
- 真の対話や理解が生まれにくい
- 現代社会で一般的になりつつある関係性
ブーバーの主張
ブーバーは、人間が真に生きるためには「我-汝」の関係を築くことが重要だと主張しました[1]。現代社会では「我-それ」の関係が増えているが、人間の本質的な関係性は「我-汝」にあると考えました[2]。
思想の影響
ブーバーの「我と汝」の概念は、哲学だけでなく、心理学、教育学、宗教学など幅広い分野に影響を与えました。特に、人間関係や対話の重要性を強調する点で、現代社会においても重要な示唆を与えています[3]。
この思想は、単なる対話の哲学ではなく、ユダヤ教的な神信仰に基づいた深い洞察であることを理解することが重要です[2]。ブーバーの思想を完全に理解するには、彼の宗教的背景も考慮に入れる必要があります。
Citations:
[1] https://www.tarui365.co.jp/column/6.html
[2] https://note.com/nenkandokusyojin/n/nd4bf47fbbd5c
[3] https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/39014/files/1587
[4] https://kotobank.jp/word/%E6%88%91%E3%81%A8%E6%B1%9D-154423
[5] https://1000ya.isis.ne.jp/0588.html
[6] https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq00000285y8.html
[7] https://www.youtube.com/watch?v=ApWSu277omg
[8] http://m.urraca.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%80%8C%E6%88%91%E3%81%A8%E6%B1%9D%E3%80%8D%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%83%A8/
マルティン・ブーバーの「我と汝」の考え方は、様々な人間関係や社会的状況において役立ちます。以下に具体的な例を挙げて説明します。
人間関係の改善
- 家族関係
- 家族メンバーを単なる役割(父、母、子)としてではなく、一人の人格として捉えることで、より深い理解と絆が生まれます[1]。
- 職場での人間関係
- 同僚や部下を単なる機能や役割ではなく、一人の人間として尊重することで、より協力的で生産的な職場環境を作り出せます[1]。
教育現場
- 教師が生徒を「我-汝」の関係で捉えることで、一人一人の個性や可能性を認識し、より効果的な教育を行うことができます[2]。
医療・介護の現場
- 医療従事者が患者を単なる症例(「我-それ」)ではなく、一人の人間(「我-汝」)として扱うことで、より人間的なケアが可能になります。
芸術活動
- 芸術家が創作対象を「我-汝」の関係で捉えることで、より深い表現や理解が生まれる可能性があります[2]。
社会問題への取り組み
- 社会的な問題に直面している人々を単なる統計や数字ではなく、個々の人格として捉えることで、より効果的な支援や解決策を見出すことができます。
自己理解と成長
- 自分自身との関係においても「我-汝」の態度を取ることで、より深い自己理解と成長が可能になります。
「我-汝」の関係性を意識することで、人々は互いをより深く理解し、尊重し合うことができます。これにより、表面的な「我-それ」の関係を超えた、より豊かで意味のある人間関係や社会的つながりを築くことができるのです[1][3]。
Citations:
[1] https://www.tarui365.co.jp/column/6.html
[2] https://www.jstage.jst.go.jp/article/uaesj/48/1/48_353/_pdf/-char/ja
[3] https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/39014/files/1587
[4] https://sites.google.com/site/ssugimoto02jan/research/normative_ethics/deontology
[5] https://note.com/nenkandokusyojin/n/nd4bf47fbbd5c
[6] https://www.newlifeministries.jp/the-ten-commandments/
[7] https://kotobank.jp/word/%E6%88%91%E3%81%A8%E6%B1%9D-154423
[8] https://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/sites/default/files/ware.pdf