翻訳について

従来、恩師などから、翻訳というものは、高校生程度の知識と判断力のある人間が、日本語だけで読んで、すっきりわかるものがよいと教えられてきたし、自分でも素直にそう思っていた。だから、翻訳もので、日本語として美しくなくて、意味不明なものがあると、不快な感じだった。その不快さは、訳者の不誠実さと付き合わなくてはならないつらさだと思っていた。そんなことよりは、原文を読んだほうがよいという結論だった。

最近になって、機械翻訳がかなり進歩していて、翻訳専用機でもよいし、短いものならAIで処理することもできる。それで大量の英語論文を処理してみると、だんだん、変化が起こる。不快な日本語も、日本語とは見えなくなり、要するにこれは英語なのだと思うようになった。日本語としておかしいけれども、その背後には英語があると分かるので、そうすると、英語を読む積もりで、その変な日本語を読むと、だいたいは分かるのである。

特に、文脈から離れて独立した言葉は、おかしな翻訳になっていることがある。それはそれで理解できるので、元の言葉が推定できると、再度翻訳して、解決できる。

この変な日本語の背後には英語があって、翻訳ミスの結果、不完全に日本語になっている。そしてもとの英語は多分これ、という具合に推定できると、原文を読むよりも早く読めるようになる。いいことかどうかは分からないが。

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