認知行動療法については様々な解説がされている。
納得できるものもあるが、あまり感心しないものもある。
自動思考、スキーマ、根底にある信念などが問題とされ、思考や感情の癖が問題になる。
外部の信号を取り入れて、解釈し、思考・感情・行動、身体反応で応答すると考えると、
まず、外部信号を間違って取り入れているとしたら、それは認知行動療法の範囲外のことだろう。
犬が二匹いたのか、一匹だったのか、黒猫だったのか、三毛猫だったのか、そのような認知を正確にするのは別の問題だ。
解釈する。それが認知行動療法の中心の問題で、黒猫は不吉だとか、黒猫はスパイの手下だとか、そのような解釈は、根底にある信念とか、スキーマとか、自動思考とか、あるいは思考感情の癖(0-100思考など)によって形成されると考える。
そのあとの段階で、思考に問題があったとして、たとえば思考は感情や行動や身体反応に影響を与えるというのも公式で、どのように影響が出ているか、シートに書いたりする。だから思考の癖を訂正しましょうということになる。
ざっと見てみると、次のように言い換えて整理できないだろうか。内的世界モデルがゆがんでいる場合(ここから「人間は邪悪だ」との信念が生まれる。世界モデルが正確なのに人間は邪悪だとは思わないだろう。)と、世界モデルは歪んでいないが思考感情の癖(0-100思考など)が影響して、不適応な認知になってしまう場合がありそうだ。そうすると、世界モデルのゆがみと思考感情の癖にまとめられる。しかしたとえば、0-100思考が、世界モデルのゆがみの結果の部分もあるのではないかとも考えられる。世界モデルが不正確だから、0-100になってしまうのであれば、それは世界モデルの側の問題だ。しかし世界モデルは正確なのに、思考感情の癖として0-100が存在するということもあるのだろうか。
世界は0-100だから思考も0-100になるのだと考えるほうが自然ではないか。世界は50-50だと知っているのに、思考は0-100だとしたら、当然うまくいかないだろう。思考がいつも0-100になるのならば、内的世界モデルは0-100の形をしていると推定する方が自然だ。
世界に対しての解釈の信念は当然、社会についての内的モデルのありようの問題だ。世界は平和でいいところだと認知している人が、人間は命を懸けて国家を守るべきだとか考えるのは、何かおかしい。世界は混乱していて、そこには邪悪な人たちがいて、他人を殺して、財産を奪おうとしていると認知しているから、命がけで祖国を守るために戦争に参加するとか言い出す。そこの論理の飛躍も気になるが、やはり世界モデルが不正確なのではないか。
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とすれば、次の問題は、内的世界モデルをどのようにして訂正できるかということだ。なぜ訂正できるのか、そして人によっては、なぜできないのか、知る必要がある。
こうなってくると洗脳である。洗脳の方法もゴールもあらかじめ治療契約で同意してあるから問題はないけれども。
内的モデルを修正するのが仕事。
上図が認知トライアングル。
こんな感じの図がよく出ているが、上図では認知の問題がうまく描かれていない。
こんな感じがいいと思うが、どうか。
認知再構成とかで問題になるのは脳内世界モデルの訂正である。
その場合の「認知」は世界モデルのことであって、反応として起こる「認知、感情、行動、身体反応」の一つとしての認知ではない。
「出来事が問題なのではなく、出来事に対しての認知が問題だ」というのは、つまり、「世界モデルが問題だ」という意味である。
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脳内モデルについて考える解き、だいたい以下のような点に着目する。
不合理な信念
論理的誤膠
スキーマ
期待
象徴的コーディング
誤った概念化
対処可能性
自動思考
自己効力感
認知構造
原因帰属
自己概念
認知的評価
自己敗北的認知的習慣
これを質問紙で考えるときは次のようなものがある。
上図は今後精密化されればよいと期待される方向であるが、まだ原始的過ぎて、使えない。