源氏物語の香りと遺伝子
源氏物語の中で、光源氏の次の世代の二人は薫と匂宮である。
薫は光の子であるが、実は、紫の上の義密通の子である。
光と遺伝関係はない。
匂宮は天皇の子で、同年代の薫の芳香を羨み、工夫を凝らして香を焚きしめたりしている。
この二人が女性、浮舟と三角関係になり、浮舟は悩んだ末、出家する。
光源氏は輝くので、人間離れしている。
薫と匂宮はよい香りがするので、これはやや人間寄りである。
人間の場合、よい香りがするといっても、
実際は、腋臭とか、年を取ってからは加齢臭などがあるだけである。
体臭は耐え難いことが多く、昔から衣服を香で焚いて、香りをまとっていた。
物語であるから、輝く人とか芳香を放つ人などが設定されている。
宇治十条の薫は、お忍びで女性を訪れようとしても、芳香で周囲にばれてしまうほどの香りである。
少数派であるが、腋臭を良い香りと感じる人もいるかもしれないので、
現代でも生き延びているのだろう。
大雑把な話として、日本に一時広く住んでいた縄文人と、その後に稲作を持ち込んだ弥生人を比較すると、
縄文人は腋臭などの特徴があり、土着で、文化的劣位の人たちである。征服された人たちである。
弥生人は現代でいえば、スマホを使いこなす人たちのようなもので、稲作と、それに伴う、河川管理の技術などを持った、いわば征服者である。
都は弥生人が優位となり、縄文人は北と南に追いやられて、生き延びていた。
都では一部の人たちの中で縄文人遺伝子は受け継がれていた。
多分、征服者の通例の通り、被征服者の女性に子供を産ませていたものだろう。
父親弥生、母親縄文で、非嫡出子の子供がたくさんいただろう。
しかしその場合、縄文的男性にはなりにくい。
縄文人でありながら、中央部で生き延びた男性は、かなり優秀な人たちだっただろうと思われる。
そのような、あまりに簡単に割り切りすぎた前提で考えると、
薫の本当の父親は、縄文人遺伝子を持った腋臭のある男性だったと推察される。
そのせいで、薫は縄文人的な腋臭を遺伝で持っていた。
そのことが隠せない証拠となって、光の子ではないと知られてしまう。
紫の上は困っただろうし、光は苦しむことになる。
これは、光が紫の上の裏切りを憎むというよりは、
過去の自分が散々不義密通を重ねてきたのであるから、
その報いだというように、一部は自責につながっている。
むしろそのような習慣があったわけで、その当然の結果として、
苦しむことになる。
まあ、平安時代に限らず、人間はそのような存在であるが。
このように考えると、薫の遺伝的父親は縄文遺伝子を持ち、文化的劣位でありながら、弥生文化の中で生き延びたのであるから、かなり魅力的な男性だったと考えられる。
その子である薫は芳香は素晴らしいのであるが、心理的にはあまり成熟していない。
残念なことに縄文的体質は弥生的遺伝子によって薄められていく。
縄文人と弥生人といっても、縄文人にも稲作技術の習得はできただろうから、特に文化的劣位をいうこともなかったのかもしれない。
目鼻立ちのくっきりした遺伝子であるから、幼形性の点で見れば、魅力的な人もいただろうと思われる権力者が傭兵として雇う、つまり用心棒として雇う場合もあっただろう。権力者の妻や娘を守っているうちに、子供ができてしまう場合もあり、そこで腋臭の遺伝も見られただろう。
被征服者が、表では征服されているが、裏では征服するというような、古典的なテーマである。
また例えば、チャタレー夫人の恋人で言うような、門番に貴婦人が許すという場合、門番はやはり引き締まって毛むくじゃらで臭いもきつい方がいいのではないだろうか。野蛮な言葉を話したりして。性的能力が優秀。