・カントが書いたように、原理的に未解決の問題は、宇宙の話と意識の話だと思う。
・意識の話、認識の問題は、宇宙の話と表裏一体である。宇宙をそのように認識しているのは脳であるから、宇宙がどのように存在しているかは、宇宙がどのように存在していると観察するかに帰着するようだ。そうでない論じ方もあるだろうけれども。一つは、観測の問題。仮説を提案して、実験で検証するのであるから、仮説の段階では数学的演算を信頼している。その結果が常識に反していても、常識を訂正しろと言える。もう一つは観測の問題。観測して解釈するのは脳であるから、脳の仕組みがかかわってきてしまう。
・意識の問題は、ニュートン力学の時代に、空間と時間がこのように存在すると考えるのは先天的に与えられたものだと考えた。相対性理論と量子力学の時代になって、その先天的要素は変更を要請され、空間や時間は絶対ではなく、光速度が絶対だとの考えになった。マックスウェルの方程式から真空中での光速度が導かれ、それは観測とよく一致する。ガリレオ変換をローレンツ変換に置き換える。それでうまく説明できるのだから、常識を訂正せざるを得ない。また、微小な粒子のふるまいは、一貫して波でもなく、一貫して粒子でもない。どのように観測するかで、振る舞いが異なる。しかも、連続的値をとるのではなく、とびとびの値をとる。
・とびとびの値をとる点に注目して、それがどのように説明したらよく納得できるのか、様々な試みがある。整数論で、掛け算を考えると、素数が基礎的な存在で、それを組み合わせて全体ができているように思われる。素数は規則性が見つけにくいとびとびの値をとる。これは量子のふるまいは似ていないかという着眼があるが、成功してはいない。
・確率的に存在するとはどういうことかについて、一つは実際に確率的に存在するのであって、確定した瞬間に、他の確率はゼロになるという解釈と、そうではなくて、未来の確率の通りに、無数の未来があるとの解釈がある。コペンハーゲン解釈とマルチユニバース。確定するまではどうなっているのかという問題がシュレディンガーの猫。マルチユニバースというが、無限の問題をどう解決したらよいのか分からない。
・人間も、基本粒子から成り立っていて、そのふるまいは量子力学で説明できる。ニュートン力学では意識の説明は難しかったけれども、利用し力学なら、意識を説明できるのではないかという、現在まで不成功の試みが続いている。ペンロースは神経細胞内のマイクロチューブの内部の量子力学的効果が意識と関係があるなどと言うが、今のところ満足できる説明とは言えない。しかし、成果を説明する基本法則が量子力学ならば、意識も量子力学で説明できるはずという考えは、一応肯定できる。しかしどうしても説明できないならば、そこから先は、別の原理が必要になる。たぶん、宇宙の基本方程式を使っても、意識の問題が原理的に解決されそうな感じはないと思う。こう考えるのが普通人の限界なのだろう。だって、世界のすべてを説明する原理なのだから、意識も説明するはずである。しかし考えてみると、説明する主体は意識であって、「宇宙がどのように存在しているか」の問題ではなく、「意識は、宇宙がどのように存在していると認識しているか」の問題であると言えるはずである。
・意識の問題へのアプローチは、一つは発生の問題である。個体発生を考えると、ヒトの受精から出産、成育を考えると、意識は徐々に発生して、どこかの時点で十分に意識であると認定できるのではないかと考えられる。系統発生を見ると、アミノ酸からたんぱく質、核酸、単細胞生物から現在存在している生物までの幅で考えるとして、意識は徐々に形成けれて、どこかの時点で十分に意識があると認定できる地点に至る。意識はと何かとの問題を考えると、非常に幅広く考えると、ビッグバンの時点からすでに意識は内在していたとも考えられるし、意識を非常に限定的に考えると、ヒトの個体発生で、出生してからしばらくたって、鏡を見て、それは自分だと認識しているあたりから、意識が成立しているとの考えもある。鏡像段階。原始的生活様式の中で考えても、埋葬の儀式をするあたりには多分自意識は発生していたと思われる。人殺しをして頭に穴をあけておきながら、一方で埋葬儀式など、一貫しないのであるが。しかし、徐々に発生したと考えるしかないのが現状である。しかしまたそれは、原理的な矛盾も生んでしまう。徐々に発生しつつある未熟な意識とは何か。また、発生とは逆に、意識が消滅する様子を観察することもできる。それもまた困難を含んでいる。ここでも、人間の常識となっているものの一部分を訂正してもらうには、数学が一番で、数学で演算するためには測定しなければならず、数値化しなければならない。しかし何を測定すれば意識の発生過程を観測していることになるのか、何を測定すれば、意識の消滅過程を観測したことになるのか。神経細胞がニューロンネットワークとして共同して働いているというなら、ヒトが生まれた直後にも脳波を測定できるし、いろいろな動物で脳波は測定できるし、神経細胞のネットワークも観察できる。
・マイクロチューブ内部で理容師論的な効果により意識が発生するというのはいきすぎだとしても、現代の穏健な勢力は、神経細胞が非常に複雑なニューロンネットワークを形成して、複雑さの程度が十分高度に達した時点で、意識が創発すると、一応書いている。emergencyというのであるが、要するに問題の先送りであるようにも思われる。これは、問題は、分割して、後で総合すればすればよいという科学の習慣を反映したものである。微小要素に分解する方向は、生物を細胞に、細胞を細胞内器官に、そのふるまいを生化学に、その説明は量子力学で、という具合に分割して、生物、化学、物理学と還元する。しかしそれでは解決しないという場合、物理学から生化学、生物学と逆向きに総合することによって、特有の性質が創発するemergentというものである。要素還元主義では解決できないときにしばしば用いられる。成功することもあるが、意識の問題については解決していない。
・発生の問題と並んで、障害の問題がある。意識は様々な理由で機能不全になる。その様子を観察することで、意識とは何かの知見を深めることができるだろう。現在私が身を置いて、日々接しているのは、様々な自意識の障害の人々である。具体的には自意識の時間的一体性の障害、自意識の能動性の障害、自意識の自己所属性の障害、自他境界の障害、これらは主にシゾフレニーで見られる。そして、デメンツの場合には脳血管障害やアルツハイマー病ならば障害の場所に応じて様々な症状を呈する。それぞれが意識の機能障害を呈している。なかには障害とは言っても、機能消失や機能低下ではなくて、機能増大が問題になる場合もある。
・これらの、自意識の障害を観察した得られた仮説の一部が私の時間遅延理論である。