いろいろな記事や意見があるがとりあえず記録。
ーーーーー次のような記事もある
【兵庫知事選について】県職員さんの悲痛な叫びをを転載します。
まず大前提として、私は職員です。事態が切羽詰まっているため、敢えて発言します。
知事時代にはたいしてフォロワーもいなかったXのアカウントに突如現れた10万単位の人達。それと軌を一にするように斎藤擁護の記事がSNS上に一斉に溢れ始めました。それは先の都知事選の石丸氏を見ているようで、続々と新規参戦する「兵庫県には縁もゆかりも興味すらなかったと思われる」県外のインフルエンサーたち。
ついには政治ゴロの立花某まで乱入して、我が兵庫県はさながらネットによる世論操作の実験場と化しました。
曰く
「マスコミがこぞって批判するのは怪しい
→斎藤氏は本当は正しかったのではないか」
「反対派には左翼が多い→以下同文」
「職員や県議に嫌われたのは改革をした証拠→〃」
あろうことか、死人に口なしとばかりに故人に関する中傷が出回り、「一死を以て抗議する」と言い残した告発者はその名誉と尊厳を奪われ、死後もなお貶められています。
職員アンケート、百条委員会と証人喚問、それを受けての不信任決議。
じれったいほどにまどろっこしい法律や議会政治のプロセスを経て、丁寧に積み重ねてきた事実認定が、根拠もなくソースも発信元も曖昧なネット工作で覆されかねない現状に心底失望し、怒りを感じています。
百条委員会の動画も実際の知事や側近の発言も職員アンケートの結果も兵庫県のHPで公開されています。法律も含めいくらでも一次資料が確認できる状況で、YouTubeや「ネットの誰かが言った内容」を鵜呑みにし、故人の思いを踏み躙り、あたかも「自分は目覚めた」かのように「斎藤さんを支持します」などと言う人間を少なくとも私は許すことができません。
私は左翼もマスコミも大嫌いですが、「左翼やマスコミが批判しているからにはいい知事だったに違いない」などという理屈は到底理解しかねます。
実際のところ、関西のマスコミは斎藤知事が告発された当初は「怪文書」「知事に対する誹謗中傷」として黙殺し、むしろ知事を擁護していました。風向きが変わったのは全国誌が取材し始めた頃からで、いよいよボロが隠せなくなったタイミングで一斉に手のひらを返したのです。
私は職員として県民として、斎藤元彦前知事を断固否定します。
彼は権力者であり断じて被害者などではない。兵庫県にこのような誹謗中傷と暴力の渦巻く政治的混乱をもたらした張本人です。
万一再選などしたら、全ての疑惑はなかったことになり、勇気を出して証言した職員には報復と粛正が行われて全ての職員は押し黙ることになるでしょう。
ネットの空気で真実を歪めてはいけない。
「斎藤氏を支持する」と明言している高須院長や暇空氏は、政局や政治利用ではなく本当に「兵庫県の現状を知った上で、兵庫県のことを考えて」発言しているでしょうか?
どうかどうか自分の頭で考えて判断してください。
斉藤元彦氏の問題から派生した三宮センター街のしばき隊と通行者の暴力事件、県外のインフルエンサーの介入。捻じ曲げられて拡散される事実。
これはもはや平穏な選挙などではない。百条委員会は法律にのっとり、虚偽陳述をすれば刑法第169条にのっとり、3月以上10年以下の懲役に処することが明記されています。ここでの宣誓をして斎藤元彦知事の報復を恐れず証言した内容が一番真実に近い。
ネット上で浮かんでくる様々な新事実とやらとは重みが違います。私は百条委員会で精査された情報をもとに考えていますので、怪しい情報に対して返答をするつもりはありません。ただ、虚偽情報を広めるのはやめていただきたいし、平穏なネットリンチのない選挙を斎藤元彦陣営には心掛けていただきたい。平和な兵庫を県外から壊さないでください。兵庫県は他の自治体のオモチャじゃありません。
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兵庫県知事選で斎藤元彦氏を“援護” NHK党の立花孝志氏もいろいろな点で話題。
この人が登場してからSNSでの動員が活発になり、若年層の支持を伸ばしたとか言われている。
しかも、若年浮動票だけではなく、ある種の団体の組織票が動き、彼らは選挙運動に動員され大きな活躍をしたとも言われている。大手マスコミもそれを映像にして流した。「たくさんの人が応援しています」。しかし、その中身が誰なのかは調査していない。
反斎藤陣営の立候補者に対してSNSで嘘の情報を流し、それを大量に拡散したとの話も証言されている。
SNSで大衆の関心をひきつけ、行動に結び付ける手法はほとんど詐欺と区別がつかない程度になっていて、法整備も、大衆の啓蒙も、後手に回っている。そのような手法がいろいろな方面で(悪い方面で特に)応用されている。こんな風に、SNSの問題点の一つとしてとらえる流れが大手マスコミにある。
そこから先はアメリカでの選挙と同じで、自分の信じたいものを信じる、これだけになる。人間の限界だと感じる。その限界を利用して利益につなげようとする人たちに対してはいまのところ有効な手立てはなさそうだ。