魚拓
“統合失調症の姉を南京錠で監禁”…20年間家族を記録した弟が伝えたかったこと「姉さんの人生はなんだったんだろう」
12/7(土)
統合失調症を発症した姉とその家族を20年間にわたって撮影したドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』が公開された。医師で研究者でもある両親は、娘が精神科に受診することをよしとせず、ある日から自宅には南京錠がかけられた……。弟であり、本作の監督でもある藤野知明氏に、時系列で進む映画に沿って話を聞いた。
精神科医に伝えるための証拠として撮影
藤野氏が姉の“発症”に気づいたのは1983年だったという。
「ある晩に、姉が突然大声で現実的でないことをしゃべり始めた。『パパがテレビの歌番組に出ていたとき、応援しなくてごめんね』とか、そういうことを。
その日に母が救急車で病院に連れて行ったのですが、診察の結果は『問題ない』ということでした。
両親も姉は病気のふりをしているだけだと言っていましたが、その後は、普通に生活している日もあれば、食事中に突然食卓の上に上がって叫び始めたり、見えない人を逮捕してくれって警察に電話したり、私としては両親の説明に違和感がありました」
はじめて家の様子を録音したのは1992年だった。
「もともとは記録を残すだけの意味で、ウォークマンで録音したんです。
『両親が姉を病気ではない、なんでもない』って言っていると、“なんでもない”ことだけが残ってしまう可能性もあるので、いずれ精神科医に伝えるための証拠として録っていた。
その後、映画学校で映像の撮り方を勉強し、カメラも買ったので、2001年からは映像で撮り出した。それが、姉の発症とみられる日から18年経った後でした」(藤野知明監督、以下同)
初めは音声だけの録音だったが、2001年以降は、帰省のたびにカメラを回すようになった。そこには両親との会話シーンや、当時のお姉さんの日常などが収められている。
「両親は姉になにがあったかを僕にはあまり説明してくれないんですよ。姉がいなくなり、両親が捜索願を出したこともあります。姉は1人でNYに行っていたんです。それを知ったのも半年か1年後。たまたま僕が、実家でNYの領事館の方の名刺を見つけて問い詰めてわかった。
他にも姉はアメリカの詐欺グループにお金を送っていたらしいんですけど、そういうことも何度か親に聞くと、少しずつ話してくる感じで。いろいろトラブルはあったんでしょうが、僕が聞いても『全く問題ない』としか言わなかった」
父がギブアップした瞬間
2005年、藤野さんが帰省した際、迎える母親が玄関ドアを開けるのに時間がかかっていた。
「両親が動けるうちは、姉になにかあっても自分たちで対処していたんでしょうけど、足腰が弱くなって動きづらくなったから、鍵(南京錠)をかけたんだと思います。ある日、僕が中に入ろうとしても、なかなか開かなくて、中に入って母が南京錠をかけているのを目にした。
『これはまずいな』って思いました。僕が帰りがけに(南京錠を)外しても、母がまたつける。イタチごっこですよね」
その後、母が認知症と思われる症状を発症した。
姉は1983年の発症以来、一度も病院に行っておらず、自分が病気であるとは思っていない。母も同じ状況だったという。
「母も病院で受診はしていないので、正確な病名はわからないですけど、2008年くらいからひどくなってきました。『侵入者が来てる』と言って、毎日決まった時間に家の見張りをするようになったんです」
『どうすればよかったか?』では母が深夜、独り言を言いながら姉の部屋に入っていき、それが姉を刺激してしまうシーンが収められている。
「父と母の2人で姉を見ることはできたけれど、父1人で母と姉を見ることはできない。そこで父はギブアップをしたんですが、そのギブアップした状況が伝わる映像なので、このシーンは残しました。
どこまで出していいかは悩むところでもあったんです。なんでもないところだけ出しても伝わらない、姉の統合失調症の反応が起きているところは使わなくちゃいけない、けど、そういう部分だけにならないよう、必要最小限にしました」
父の承諾もあり、姉は2008年に入院し、3ヶ月後に退院する。入院前と比較すると、明らかに様子が異なっているのが映像でわかる。
「いろいろな薬も試して、入院してわりとすぐに姉とは会話もできるようになりました。これまで撮った映像をまとめても、あまりに救いのない話にしかならなそうだなと思っていました。それが、治療してよくなっていけば、意味のある映像を作れる可能性があるなとは思うようになりました。
母が2011年に亡くなって、父1人で姉の看護は無理だろうと思い、僕も実家に戻りました。姉が退院してからは、容態も安定し、カメラをまわす時間も減っていたんです。が、その後、姉の肺がんが見つかってしまい、あまり時間がないなとまたまわし始めた」
こう聞くとつらい映像ばかりに思えるが、その頃の姉弟で札幌に買い物に行ったり、花火大会に行ったりする穏やかな姿も映像で確認できる。
家族の姿をありのままに写した
家族に一筋の光が差し込んでいくように見えた矢先、2021年に姉は亡くなった。
「姉は最後まで病識はなかったので、生きているうちは作品として発表はできないと思ってました。
ただ、姉と僕は8歳差で、男女の平均寿命が6歳差前後なので、大体同じ年に寿命がくる。もし自分が先に死んでしまったら、作品は永遠に発表されないということもわかっていたので、そこは賭けでしたけどね。
姉は残念ながら亡くなってしまったので、まとめはじめたのはそれからです。
アーティスト・イン・レジデンス(註:一定期間ある土地に招聘された作家が滞在し、作品制作を行わせる事業)の『山形ドキュメンタリー道場』に参加し、映像素材を30分程度にまとめたものを持っていったんです。これをどう受け止めてもらえるかの確認の意味だったんですが、わりと好意的な印象だったので、じゃあ、映画を作ってもいいのかなと、本格的にまとめ出した」
『どうすればよかったか?』はナレーションやテロップも最小限にとどまり、劇伴もなく、そこで起こった事実のみを映像でひとつひとつ見せていく。情緒を排したストイックな編集作法が、観る者の心を揺らしていく。
「悲しい場面に悲しい音楽を流したり、ナレーションで状況をわかりやすく説明したりするのはよくない、それをやったらおしまいだと思っていました。テロップは、映像だけでは伝えきれない重要な事実を補足する形で使いましたが。
この作品が受け入れてもらえるかどうか、という疑問は作品完成からずっとあります。統合失調症を発症した人の映像は、ボカシがかかることがありますが、本作はモザイクをつけてません。当事者の人が見たらどう思うんだろうとか考えます。
ただ、自分ではこれを作らないで死んだら無念だったろうと思うし、姉さんの人生はなんだったんだろうとも思う。
自分はもともと感情表現が苦手なタイプでしたけど、姉の変調をきっかけに、本当に困るっていうのが、どういうことかが初めてわかった。おかげで人間らしくなった部分もあると思います」
引きこもり、DV、介護……さまざまな問題を抱えている家族が日本中にいる。『どうすればよかったか?』は自らの家族のあり方を隠すことなく見せることで、図らずも悩みを抱えている人たちにも訴えかける作品になっているのではないだろうか。
「周囲に相談できないことってあると思うんですが、まずは、事実を受け止めないと解決には進めないですよね。僕の両親は自分たちでなんとかしようと思ったんでしょうけど、できなかった。
もちろん両親にもいい部分はあったけど、病院に行かせなかったことと、家に鍵をかけたことは間違っていた。これは昔の話ではありますけど、今世に出してもそれほど古くはないし、これよりひどいことにはならないように見てもらいたいという意味で作った作品です」