贖罪で移民を受け入れたドイツが直面する苦境

贖罪で移民を受け入れたドイツが直面する苦境
中道を標榜するが、過激なポピュリズムに向かう人も

ナチスによる過ちの風化を今でも防ぎ続ける、強い意志を持つドイツ。そんなドイツの意識も、時代により徐々に変化が見られているようです。元外交官として、そして個人として世界97カ国を見てきた山中俊之氏が、地政学に「政党」という切り口をプラスしてドイツという国を分析します。

ナチスへの反省から生まれた政党制
各州に自治権を持たせる連邦制を採用している国は、アメリカとカナダのほかに、ロシア、オーストラリア、スイス、インドなどがあります。ドイツも連邦制ですが、領邦国家の伝統があるドイツでは、州政府の権限が大きく強いのが特徴です。

私の見たところその理由は、ドイツにとってナチスへの反省は非常に大きく、国全体的に影響を及ぼしているためでしょう。権力を一つに集約して巨大化させてはいけない――中央集権的な権力を徹頭徹尾、避けているのです。

ドイツでは法律により、ナチスを連想させるような言動は厳しく規制しています。ナチス式敬礼が罪に問われるニュースを、見たことがある人もいると思います。

さらにドイツ連邦共和国基本法、すなわち実質的な憲法の21条には、「自由と民主主義に反する、或いは国の存亡を脅かす政党は違憲」という旨が制定されています。

日本国憲法には「政党」というものが明示的に定義されていませんが、ドイツではちゃんと規定されているのです。政治活動の自由を制限することは、人権の見地からいえばそぐわないものです。

しかし、だからと言って「表現の自由だ、言論の自由だ」となんでもかんでも許していたら、再び国が暴走機関車に繋がれてしまうかもしれない……。そんな深い懸念が表れています。

そんなドイツにもヨーロッパ全体の傾向が表れています。右派ポピュリズム政党が登場し、支持者が増えているのは、移民への反発からでしょう。また「ネオナチ」と呼ばれる若者たちも戦後まもなくから現在まで、消えることなく存在しています。

私の著作権エージェントの元担当者は、10年ほど前、ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州に住んでいました。移民や外国人が少ないとされる地域だそうですが、それでもネオナチと呼ばれる集団を日常的に見かけていたと言いますから、ベルリンなどの都心ではなおのことでしょう。

「反ナチス」という国の決意や危機感がありつつも、消えない悪の残滓。

ナチスという“過去への贖罪”と、今、移民に仕事が奪われるという“目の前にある危機”の綱引き。この勝負は拮抗関係というより、現実味を帯びているぶん、後者に有利なのかもしれません。「ナチスの悪夢は歴史の授業で学んだけど、すごく昔のことだよね?」と。

旧東ドイツ出身の人の中には、統一ドイツになったにもかかわらず“安い労働力”として使われ、やがて移民に仕事を奪われて失業した鬱屈の中で、ポピュリズムに向かう人たちもいます。

「同じドイツ人なのに不公平だ」という人たちが、右派ポピュリズムと言われる政党「ドイツのための選択肢」を支持することもおおいにあるのです。

もちろん過ちの風化を食い止めようと国も対策を講じており、それが小選挙区比例代表併用の選挙制度。仮に過激な政党が出てきても、議席を得ることは容易ではありません。全体としては中道で多党、そんなドイツの政党を見ていきましょう。

大連立政権から誕生したメルケル首相
議院内閣制のドイツ連邦議会には、連邦参議院(上院に相当)と連邦議会(下院に相当)があります。

連邦議会は小選挙区比例代表併用制。小選挙区では個人に投票して最多票を集めた候補者が当選。連邦議会の全体の議席数は政党名への投票で決まります。

この際、議席を取れる政党には「小選挙区で3名以上の当選もしくは比例代表で5%以上の票を獲得している」という条件があります。この条件付けによって、ナチスのような過激政党の登場を防ぐとともに、やたらと小さな政党が増えない工夫をしているのです。

また、「Wahl-O-Mat」(ヴァールオーマット)というオンラインの支援システムが提供されており、有権者は各政党の政策・立場を知ることができるようになっています。

ドイツの国家元首は大統領ですが形式的なもので、実権は行政権をもつ連邦首相にあります。

議会の過半数を得れば首相に――しかしドイツではこれがなかなか難しい。一強という政党がないため、連立政権が多くなっています。

群雄割拠の政党のなか、二強と言えるのが保守のキリスト教民主同盟と、リベラルの社会民主党。どちらも政権を担った経験のある有力政党ですが、メルケル政権ではこの二強の大連立政権だった時期が長くありました。

あえて右派政党を選んだメルケル
キリスト教民主同盟と、社会民主党を中心に、ドイツの政党を見ていきましょう。

キリスト教民主同盟は、ドイツ帝国時代(1871〜1918年)の中央党がルーツです。「小さな政府(「個人の自由を尊重するから、公共サービスや福祉は最小限でいい。教育も経済活動も、実力本位で国民がそれぞれ頑張ればいい」という考え方)」を目指す伝統を重んじる内向きな政策、“昔ながらの保守”という趣でした。

現在は中道右派と見なされており、キリスト教的な価値観を重視はしているもののキリスト教を必ずしも前面に押し出しているわけではありません。

しかし、保守的な政党の名前にキリスト教という宗教名がついているのは、伝統的な主張にはキリスト教的な価値観が結果として反映されていることが多いためであろうと私は考えています。

欧州におけるキリスト教という存在の大きさを象徴しているようです。なお、政教分離を重視するフランスの国民議会には、宗教名がついた議席を持つ政党はありません。

社会民主党は19世紀に誕生した伝統ある政党で、どちらかというと「大きな政府(教育、福祉、医療、環境保護、経済活動など、国民一人ひとりの生活に補助金や規制を通じて政府が介入)」を目指しています。福祉に力を入れるリベラルで、対外的な経済政策としては国際協調路線です。

私はこの2つの連立政党から、長くドイツの顔となったメルケル首相が出たことを“中道ドイツの象徴”のように捉えています。

アンゲラ・メルケルは旧東ドイツの出身の牧師の娘です。東西が壁で分断されていた冷戦時代に育っていますから、社会主義的な影響を受けていることは間違いありません。ベルリンの壁が崩れる35歳までは物理学者でしたが、政治思想は社会主義的であっても不思議はないでしょう。

ところが政治活動を始めた彼女が入った政党は、キリスト教民主同盟。これは東ドイツにあった別の政党ですが、統一ドイツでも同じ名の保守政党を選びました。

彼女自身の卓越した能力を考えれば、どの政党でも政治家として名をなしたでしょうし、社会民主党に入ることも簡単だったでしょう。“ドイツ左翼の期待の新星”にもなれたはずです。

ただし、東ドイツ出身で左派の政治家となれば、色がつきすぎて警戒する人も大勢います。右も左も両方とも、ずっと広いドイツの支持を集めて頭角を表すことは、左の政党にいては難しかったはずです。

そこであえて右寄りの政党に入り、コール首相やさまざまな人に才能を見出されていった。もしかしたらなかば“自分の本音”を隠しながら、ドイツ初の女性首相となり、16年間も国の代表を務めた――これはある政治学者の分析で、いささか飛躍しすぎかもしれませんが、私は頷ける気がしています。

メルケル首相は移民にも寛容でしたし、東日本大震災の後、いち早く原発廃止を宣言するなど環境問題にも敏感。リベラルに見える決定でした。右派らしいところは安全保障政策で、トータルで“ザ・中道”になるのです。

すべては物理学者らしい合理的な計算だったのか、政治家としての胆力なのか、さまざまな政治学者も分析しています。ドイツ全体としては中道なので、いろいろな意味で統合ドイツらしい中道政治をおこなったといえます。

元シリア難民の政治家も誕生
ドイツはEUの中でも移民や難民を比較的積極的に受け入れている国です。シリア難民を多数受け入れています。それもナチスへの反省からきているというのが私の仮説です。

一人の独裁者や一つの独裁政党に国が突き動かされ、国際協調を踏みにじってはいけない。そう考えているからこそ、EUという枠の中で貢献し、役割を果たしていくのはドイツの国是であり、各党の政策でもあります。ドイツから出た予算でEUが成し遂げたことも多くあります。

EUは移民受け入れの政策を打ち出してきましたし、中でもドイツは積極的でした。人道支援の見地から、メルケル首相は「シリア難民を100万人受け入れる」と宣言。内戦で国を追われた人を受け入れたのは、おそらくかつて無辜のユダヤ人を国から追放し、命まで奪った罪を贖う意識もあったからでしょう。

「あれだけのことをしたからには、困っている人たちを受け入れなきゃいけない」

2015年、ドイツが受け入れたシリア難民が100万人の大台に達したと報じられました。

地方議会ではありますが、最近では元シリア難民の政治家も誕生しています。ドイツ語を一生懸命学び、努力し、社会に認められて議員にもなった。これはナチスへの反省とともに、ドイツの柔軟性、寛容性を表しています。

その一方で、戦後の労働人口不足を補うために政策的に受け入れてきたトルコ移民についてもムスリムの彼らはドイツ文化になかなか溶け込めず、長い年月が経っても相互不信が解消することは難しいようです。

ドイツはフランスのような厳しい政教分離ではありませんが、言葉も文化も全く違う人たちとは、どうしても一体化しにくい。サッカーワールドカップでは、トルコ系選手がドイツ代表となり、心ない言葉を投げかけられることもありました。もちろん、これはドイツに限った話ではありません。

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