けれども、あらゆる「よろこび」は短い

私は父に死なれただけだが、おまえと宇乃は両親に死なれた。家もなく、たよる親族もない。幼ないおまえにも、どんなにこころぼそく、どんなに悲しいかは私にわかる、と甲斐は心のなかで云った。–けれどもそれで終るのではない、世の中に生きてゆけば、もっと大きな苦しみや、もっと辛い、深い悲しみや、絶望を味わわなければならない。生きることには、よろこびもある。好ましい住居、好ましく着るよろこび、喰べたり飲んだりするよろとび、人に愛されたり、尊敬されたりするよろこび。–また、自分に才能を認め、自分の為したことについてのよろとび、と甲斐はなおつづけた。生きることには、たしかに多くのよろこびがある。けれども、あらゆる「よろこび」は短い、それはすぐに消え去ってしまう。それはつかのま、われわれを満足させるが、驚くほど早く消え去り、そして、必ずあとに苦しみと、悔恨をのこす。

人は「つかのまの」そして頼みがたいよろとびの代りに、絶えまのない努力や、苦しみや悲しみを背負い、それらに耐えながら、やがて、すべてが「空しい」ということに気がつくのだ。

樅の木は残った

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