記憶の断片がフラッシュバックすると言う場合、
多分、ほぼ一瞬の記憶だろうと思う。
Youtubeのショート動画よりも短いくらい。
そのようなショート記憶が、特に強い脈絡もなく(主観的にはそのように思える)思い出されてしまい、気分に強い影響を与える。
うつ病の時にはかこの抑うつ場面がフラッシュバックして、なおさらうつ的な気分になってしまう。悲観的な確信を強化してしまう。
ーーーーー
考え方としては、そのようなショート記憶は、あくまで素材であって、解釈のし直しができるのではないか。
例えて言えば、子供の絵本の挿絵のようなものだ。
桃太郎の話でもいいけれども、場面場面を分かりやすい絵で表現している。
おじいさんおばあさんがいたり、黍団子があったり、キジがいたり、鬼がいたりする。
しかしそれはあくまで場面であって、物語の内容そのものではないので、
ストーリーがどうなっているかについては、可変性がある。
絵本でも紙芝居でも、ショート動画でも、それらの間をどのようなストーリーでつなぐかという点は残されている。
とすれば、違う物語も可能である。
生きて経験する感覚を総合して、天動説で当たり前だと思っているのが原始的状態である。
しかし同じ体験要素をつなぎ合わせて、地動説で説明することもできる。
人生全般についての悲観的ストーリーを前提にして、いろいろなエピソードを配置することもできる。
しかしそうではなく、同じいろいろなエピソードを、楽観的なストーリーの中で解釈しなおすことができる。
ーーーーー
素材としてのショート動画がいくつもある。
それらをストーリーとしてまとめる基盤になる気分とか認知がある。
悲観的認知が根底にあると、それぞれのショート動画は悲観的ストーリーを補強する材料になる。
楽観的認知が根底にあれば、同じ素材も楽観的認知を補強する材料になる。