「上善は水のごとし」老子
「善く敵に勝つ者は与わず」老子
「耳で聞くよりも心で聞け」荘子
「人、大いに喜ばんか、陽を毘らん。大いに怒らんか、陰を毘らん」荘子
「小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず」荘子
「道を知る者は、必ず理に達す」荘子
「上善は水のごとし」は、最高の善は水のようなものでなければならないことを意味しています。水は万物を助け、育てて自己を主張せず、だれもが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまります。
老子の名言23選
賢者は人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。
老子
誰かを深く愛せば、強さが生まれる。誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる。
老子
善人は不善人の師なり、不善人は善人の資なり。
老子
困難なことは、それがまだ易しいうちに始めなさい。
老子
つむじ風はひと朝と続かず、豪雨は一日と続かない。
老子
人を知る者は智、自ら知る者は明なり。
老子
賢者は財宝を貯えない。人に与えれば与えるほど、彼の財宝は豊かになる。
老子
怨みに報いるに徳を以てす。
老子
天の道は利して害せず、聖人の道は為して争わず。
老子
善く人を用うる者はこれが下となる。
老子
もっとも立派な武器はもっとも大きな悪をなす。知恵深き人は武器に頼ることはしない。
老子
取らんと欲する者は先ず与えよ。
老子
すべてのものの中でもっとも柔らかいものは、もっとも堅いものを打ち負かすことができる。
老子
ただ自分自身であることに満足し、比較したり競争することがないのであれば、すべての人が君を尊敬するだろう。
老子
粘土をこねて作った器が役に立つのは、その器の中が空虚になっているからである。
老子
他人を知るものは賢いが、自分自身を知るものは目ざめた人である。
老子
敢えて天下の先とならず。
老子
本当の親切とは、親切にするなどとは考えもせずに行われるものだ。
老子
白雁(はくがん)は白くなるために水浴びする必要はない。あなたも自分自身でいること以外に何もする必要はない。
老子
優しい言葉をかければ、信頼が生まれる。相手の身になって考えれば、結びつきが生まれる。
老子
足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。
老子
すべてのものの中でもっとも柔らかいものは、もっとも堅いものを打ち負かすことができる。
老子
正しい言葉は聞こえがよくなく、聞こえがよい言葉は正しくない。
老子
信言は美ならず
まことのある言葉は美しくなく、美しい言葉にはまことはない。真善美はまやかしだという。言葉は人工的なものでそれだから美に取り憑かれるのでしょう。言葉で飾らないで自然のままでいい。
無為にして為さざるなし
人間素のままでいるのが欲望につかれずいいという。学ぼうとするとそれだけ欲が出てきりがないということらしい。それでも人間は欲を持ってしまう。それならば呆けてしまうのが一番無為なのかと考えてしまう。
大器は晩成
一般に晩年になって成功を収めるの意味に取られますが道教では、「真の大器は、永遠に完成することがない」の意味らしい。完成するものは真の大器ではなく、それだけのものだということ。未完成の大作ですね。
胡蝶の夢
無用の用
弟子がこんな大きな木を見向きもしないのは何故かと尋ね、師匠が役立たずだから切られない大木と言った。その夜に夢で大木が師匠にお前に取っては役立たずだが、人間に切られ短命に終わった木を見てきたんだ。だから俺は大木になって役に立つと言ったとか。
書物は貴ぶに値するか
中国の偉い人が車の輪を作る家僕に殿の読んでいる書物は役に立つのか質問され、言葉は昔の人の残り滓と答える。職人は実際のモノ造りは言葉に出来るものではなく、試行錯誤や親方の見様見真似で出来るものだという言葉に対しての不信感を表す。読書しているのに、それはないよなと思えるけど、まあ思考と現実が必ずしも一致するものでもない。
莊子、恵子の墓を過ぎる
莊子と議論を重ねた恵子がなくなって、莊子は言葉を発しなくなったという。莊子は死も生も同一のものとする思想があるのですが、やっぱ死は悲しいものなのか。妻が死んだ時はおちゃらけていたんですけど(「莊子の妻死す(至楽編))。なお最後の言葉は「莊子の死(列禦寇〈れつぎょうこう〉編)」では天と地が私の棺だから、棺はいらんと言っていたとか。
生死をあるがままに受け入れる思想:養生主篇 第三 五
秦失(しんしつ・不明)は友人の老子(時代が合わず虚構)の訃報に接して弔問に行った。かれは霊前で三たび声を上げて泣くという儀礼を行っただけで、そのまま帰った。そのそっけないそぶりに老子の弟子が「あなたは先生と旧来の友人だったじゃないですか」となじると、秦失はこう答えた「そうだとも」。弟子は「親友のあなたがそのような弔い方でよいのですか」と責める。
秦失は言う「私はこれまで、あなたの先生を尊敬して付き合ってきたが、今は気持ちが変わった。奥の間に入ると老人は子を亡くしたように泣き、若者は母をなくしたように泣いている。故人は追悼の言を求めていないし、泣くことも求めていないだろう。これは天の理法を逃れ、人間の自然のあり方にそむく行為だ。
人の生が天から与えられたものであることを忘れて執着することを、昔の人は頓天(とんてん・自然の道理から外れた罪)の刑といった。先生がこの世にやってきたのは、それが生まれるべき時だったからで、死んだのも死ぬべき時だったからだ。時に準じておれば哀楽の入る余地は無い。昔はこれを帝の県解(けんかい・束縛からの解放)といった」。
有用・無用に関する思想:人間世篇 第四 四
大工の石(せき)が斉の国を旅した。途中、曲轅(きょくえん・地名)に差し掛かったところ、そこに巨大なクヌギの神木があった。その巨大なこと、木陰に何千頭もの牛が憩えるほどで、幹の太さは百抱えはあろうかというほど。高さは山を見下すほどで地上七、八尺のところにようやく枝が出ている。枝とはいえ、1本で充分船が作れるほどの枝が何十本も生え広がっているのだ。この巨木を見ようと訪れる人は引きも切らず、あたりは市場のような賑わいを呈している。
石の弟子たちは息を呑んで大木を見やったが、石は目もくれずに通り過ぎてしまう。追いすがった弟子たちが「親方の弟子になって以来、これほど立派な木は見たことがありません。どうして親方は目もくれずに行ってしまったのですか」と聞く。
石はこれに答え「言うな。あれは何の役にも立たない木だ。船を作れば沈んでしまう。棺おけを作ればたちまち腐ってしまう。家具を作れば壊れ、扉を作れば脂だらけになる。
柱にすれば虫に食われ、全く何の役にも立たない木だ。だからこそこんなに大きく育ったのだ」。
石が旅から帰った夜、夢にあのクヌギの木が現れ、石に語りかけた。「お前は私を何と比べて無用というのだ。どうせ人間に役に立つ木と比較したのだろう。梨、柚子など果実のなる木はお前たちの役に立つ。だが果実をつけるが故に果実をもぎ取られ、枝は折られ、引きちぎられ、天寿を全うすることなく死ななければならない。自らの長所が自らの生命を縮めている。自ら求めて世俗に打ちのめされているのだ。この世の人も物も全て有用であろうとし、同じ愚を繰り返しているのだ。
だが私は違う。私はこれまで一貫して無用であろうと努めてきた。天寿も尽きようという今になって、ようやく無用の木になりきることができたのだ。お前たちに無用であることが私には本当の用なのだ。私が有用であれば、とっくの昔に切り倒されていたのだ。
もうひとつ言うと、お前もわたしも、自然界の一物に過ぎない。物が物の価値付けをしてどうなるのだ。価値付けするなら、お前のように有用であろうとして自らの生命を削っているものこそ、実は無用な人間なのだ。無用な人間に私が無用な木であるかどうかわかるはずはないだろう」。
翌朝、石は弟子たちに昨夜の夢を話したところ、弟子たちは「それ程無用でありたいなら、どうして神木なんぞになったんでしょう。神木というのは百姓たちを守護する木なんでしょう」。
石いわく「めったなことを言うでない。神木は仮りの姿だ。自分を理解しないものが多いので神木になっているだけだ。仮に神木になっていなくとも、伐られることはないだろう。あの木は世間の望みとは反対に、無用であろうと努めているのだ。こういう相手を世間の常識で計るのは見当違いというものだ」。
人の情に関する思想:徳充符篇 第五 六
恵子が荘子に言った「君は前にそういったが、人は本来情のないものだろうか」。荘子は「そうだ」と答えた。恵子は「人でありながら情を持たなければ、どうしてそれを人といえようか」
荘子は言う「天によって容貌、形が与えられているのに、どうして人でないといえようか」
恵子はさらに言う「人間である以上、情を持たないというのは矛盾していることでないのか」
荘子は答える「私が情はないと言ったのは、情にとらわれないということだ。好悪の念にとらわれ、自分の身を傷つけることなく、全てを自然に任せて、あるがままに、ことさら生命を助長するようなことはしないと、いっているのだ」。
恵子「生命を助長せずに、どうして身を維持して行けようや」
荘子「自然の道理によって容貌、形が与えられたものを、好悪の念によって損なわれないようにする。これだけで充分だ。しかし君はあくことなく知を追い、精魂を疲れさせ、樹によりて論じ、机の前で居眠りをしている。せっかく天が君に人間としての外形を与えてくれたのに、君はつまらぬ議論でわが身を滅ぼそうとしているではないか」。
真の人の思想:大宗師篇 第六 一
天の為すことを認識し、人のなすことを認識するのが究極の目的である。天のなすことを知るものは自然のままに生きられるし、人の為すことを認識できるものは、知の及ばないところまで知を働かすことが可能になる。こうして天寿を全うしてこそ偉大な智者といえる。
しかしまだ問題がある。認識は標準があってこそ確かなものになるのだが、その標準が確定していないのだ。私はこれまで自然と人を対立させて捉えてきたが、この対立さえも確定的でないのだ。
しかし知を越えた「真知」はこの弱点を伴わない。この真知を己のものにしたのが真人である。太古の真人は乏しくも不満なく、栄達を求めず、全てをあるがままに作為をほどこすことがなかった。こうした人は過ちても悔いず、成功しようとも誇らず、高所に立っても恐れず、水に濡れず、火も恐れない。ここまで道と一体化したのが真人である。
真人は寝ても夢を見ることなく、目覚めていても放心状態で、ものを食べても味を感じず、足のかかとでゆったりと呼吸していた。だが今の我々は呼吸をのどでして忙しくあえぎ、議論すればむせんで敗残者の悲鳴さながら、こうして欲深きものは生命力を枯渇させているのだ。
真人は生に執着せず、死をも忌避しない。この世に生を受けたからといって喜ぶことなく、この世を去るからといっても悲しむわけでない。ただ悠然と来たり、悠然と去りゆくのみである。始まるところを知らず、終わるところを求めず、受けてこれを喜び、忘れてこれを自然に返す。 この境地を「心の分別で自然の道理を損なわず、小ざかしい知恵で自然の働きを助長せず」というのだ。こうした境地にある人を真人という。
このような人は、心は無心そのもの、その姿は静寂そのもので、額は高く秀才をしめし、表情は秋のように厳しく、春のように和やかで、感情の動きは季節の移り変わりのようにごく自然で、精神の働きは外界の事象の変化に応じて限りなく自在に動く。
真人が武力を用いて他国を滅ぼしたとしても、人心はそれによって離れることなく、人民に恩恵を与えても人民は恩恵を与えられたと思わぬ者こそ真人の名に値するといえよう。
作為的に秩序を形成しようとする者は聖者でなく、意識的に愛を実践する者は仁者でなく、ことさら自然に順応しようとする者は賢者でない。利害にとらわれ利と害が結局同一であるであると気付かぬ者は君子でなく、名誉にとらわれ自己を見失うものは士ではない。身を滅ぼし、本性を失った人間は奴隷に等しいのだ。
狐不偕(こふかい)、努光(むこう)、伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)、箕子(きし)、胥余(しょよ)、紀他(きた)、申徒狄(しんとてき)・・いずれも権力者、暴君に対し己の節を通して対抗、自殺、刑死、餓死などした古代の有名人・・といった人達は一見、自己の信念を貫き通したように見えるが、結局は他人に振り回されて、主体性を失い不幸な結果に終わったのだ。
昔の真人は背丈が高くとも崩れず、何か不足しているように見えるが人から物を受けない。のびのびして孤独でいるが、かたくなでなく、とらえどころはないが、浮ついてはいない。おおらかで素朴、何時も晴れ晴れとした顔で、なにをするにしても差し迫ってやむを得ずするといった感じで、ゆったりとして、人の心をやわらげてくれる。広々と大きい感じで、奮い立っても、表情はその徳の枠内にとどまっている。
真人は刑罰を政治の基本とし、礼をその翼としているが、時々の変化に応じるものを知とし、自然の摂理を徳とみなす。
刑を政治の基本としているから、罪人を平気で殺せる。礼を衣服とみなしているのは世俗に従うため、知を時々の変化への対応とするのは、やむを得ざる場合に備えてのことで、徳を自然の摂理とみなすのは、真人は自己を主張せず、何事も他人に任せているという風をとるため。しかし人は徳ある人は世事に熱心だと見ている。
さて好むも、好まないのもそれぞれといえるが、どれも同じで天と人は一体である。
天と同じ意見ならば天の徒、人と同じならば人の徒であるだけのこと、真人は人の徒であるとともに、天の徒でもある。これが真人なのだ。
道の思想:大宗師篇 第六 三(註:岩波文庫のものより短い)
道には情あり、信が在るが、行動なく形もない。心で見ることは出来るが、目で見ることは出来ない。他のものに依存しない独立した存在で、天地がない頃から存在し、天より高いところにあっても高いとせず、大地の下にあっても低いと言わず、天地より先に生まれながら久しいとせず、上古より存在しても老いたとしない。
この道を得て、伝説の神鬼神帝はそれぞれに活躍したのだ。
道家と儒家:大宗師篇 第六 六
子桑戸(しそうこ)、猛子反(もうしはん)、子琴張(しきんちょう)の三人が語り合っているうちに誰からともなく、こういう話が出た。「無心に交わり、無心に助け合うことのできる者はいないのだろうか。天に昇り霧の中の限りない広がりの中で遊び、生死を忘れて無窮の中に生きる者はいないのだろうか」。三人はにっこり笑い、うなずいて友達になった。
何事もなくしばらくの時が過ぎてから、子桑戸が死んだ。だが葬儀もせず死体は放置されたままになっていた。孔子がそれを聞いて弟子の子貢(しこう)をやって葬儀を行わせようとした。
子貢が子桑戸の家にやってくると、孟子反と子琴張が、一人は土間ですだれを編み、一人は琴を弾いて声を合わせて歌っていた「ああ子桑戸よ なれははや 生まれ故郷に帰りしに 我等はなお人の世をさすらう」
余りのことに子貢は怒り「なきがらを前に歌を歌うとはなにごとですか、死者に対する礼をお忘れですか」と詰め寄った。
二人を顔を見合わせ「この人は礼の意味を分からないと見える」といった。
あきれた子貢は、戻ると孔子に報告した「彼らは何者でしょうか。礼儀を知らず、遺体の前で歌を歌って悲しそうな顔もしない。彼らは一体何者でしょうか」。
孔子は答えた「彼らは世俗の規範の外に生きている人達だ。だが私はその枠の中にいる。住む世界が全く違うのに、お前を弔問に行かせて仕舞った。これはまずいことだった。彼らは造物者の友となり、宇宙の根源に遊ぼうとする人達だ。生を体のいぼやこぶの程度にしか考えていない。死もできものがつぶれた程度にしか考えていないのだ。したがって生を喜びもしなければ、死を恐れもしない。肉体を借り物に過ぎないと達観し、肝臓や腎臓、耳目も忘れ生死の循環をどこまでも繰り返す。こうして彼らは無心に俗世間の外を彷徨し無為自然の境地を楽しんでいる。世俗の礼儀を気にして世人の思惑に迎合することがどうして出来ようや」
子貢は満足しない「では先生はどちらの道に従っておいでなのですか」
孔子「私は天の刑罰を受けて、この世に繋がれた人間だ。しかし私もお前と一緒に彼らについていきたいと思う」
子貢「その方法をお聞かせください」
孔子「魚は水と離れられないし、人は道と離れられない。水と離れられない魚は池を掘ってやれば充分に生きてゆけるし、道と離れられないものは無為を守ってゆけば天寿を全うできる」。
子貢はさらに聞く「どうかあのような奇人について教えてください」
孔子が答える「世俗の目から見れば彼らは奇人に違いない。だがそれは彼らが世俗に縛られない天のままの存在だからだ。『天の君子は人の小人、人の君子は天の小人』という言葉もあるではないか」。
道について:在宥篇 第十一 四
黄帝が立って天子になってから十九年が経ち、その政令は天下に良く行われていたが、広成子(こうせいし・老子の別称とも言う寓話的人物)が空同山にいると聞き、訪れて尋ねた。「先生は至道に達しておられると聞いていますが、どうか至道の精髄について教えていただきたい。私は天地自然の精気を取って五穀の成長を助け、民衆を養っていこうと思っていますし、また陰陽の気を支配して多くの民の生活を遂げさせようと思っています。そのためにはどうしたらよいのでしょう」
広成子いわく「あなたが聞きたいと思っている精髄はものの本質であり、あなたが支配したいと思っているのは、ものの形骸に過ぎない。あなたが天下を治めるようになってから雲の集まらないうちに雨になり、草木は葉が黄ばむことなく落ち、日月の輝きも鈍くなってきている。あなたは口先だけで、話の上手い人だ。そんな不誠実な人にどうして至道のことなど話せようか」
黄帝は退出すると天下のことは打ち捨て、ひとり住まいの部屋を作り、白茅を敷き、三ヶ月の間静かな生活を送った。そのうえで再び広成子を訪ねた。広成子は南枕で横になっていたが、黄帝は下座からすり膝で進み、恭しく礼をして言った「先生は至道に達しておられると聞いています。どのように身を修めたら、長生きができるのか教えてください」。
広成子はすっくと立ち上がり答えた「良い質問だ。さあ寄りなさい。私はあなたに至道のことを話そう。至道の精髄は微妙だし極地は奥深い。見ようとせず、聞こうとせず、精神を内に守って静かにしていると、肉体はおのずから正常になるだろう。必ず静かにし、清らかにして、肉体を疲れさせず、精神をゆすぶらなければ、長生が出来よう。目にうつるもの無く、耳に聞こえるもの無く、心に分別が無くなれば、あなたの精神は肉体を守るであろう。そこで肉体は長生することになる。
あなたの内なるものを大切にして、外に向う知識を閉じなさい。知識が多いと物事を壊す。わしはあなたのために輝く太陽の上に昇り、純粋な陽気の極限にまで行こう。
天地にはそれなりの治まり方があり、陰陽にはそれなりの治まり方がある。あなたが身を大切にしてゆけば、万物はおのずから元気になろう。私は道を守り、万物の調和に身をおいている。だからわしがわが身を治めているのは千二百年になるが、わしの肉体は全く衰えていない」。
黄帝は恭しく拝礼すると「先生こそ天と呼ぶべき人ですね」と言った。広成子はこれの答えて言った「さあ寄って話を聞きなさい。諸々のものは無窮であるのに、人々は皆終わりがあると思っている。諸々のものは無尽であるのに、人々は限りがあると思っている。これは智に拘泥した人の迷いである。わしの道を体得した人は上は皇帝となり、下は王となる。わが道を失ったものは、上は生前光を見る事が出来るにしても、形や色彩に心奪われ、下は死んで土になってしまう。
多くのものは皆土から生まれ、土に戻るのだ。わしは土に戻るべきあなたを捨てて、永遠のきわまりのない世界の門をくぐり、果てしない自由の世界に遊ぼうと思う。わしは太陽や月、光と交わる。わしは天地ともに不変である。わしを慕って来てもぼんやり無心、わしに背き去って行ってもぼんやり無心、人々は皆死んでいくが、わしだけは一人生きていくだろう」。
無為自然について:天道篇 第十三 六
昔、舜は堯にたずねてこういった「天子は政治に対し、どういうことに心配りしますか」。堯は答えた「私は世間から見放された人にも暖かく目をかけ、困窮する人を救い、死者をいたみ、幼児をいつくしんで、女性を哀れんでいる。これが私の心働かせているところだ」。
舜は言った「立派なことは立派ですが、しかしまだ偉大とはいえません」「それではどうしたらよいのか」と堯。舜はこう答えた「天と徳がともにあれば、行動するときも心安らかです。日、月は輝き、四季が順調にめぐるように、また昼夜の交代に定めがあり、雲が空に流れ、雨が地に降るように、全く自然のままの姿に成るのです。
堯は言う「すると私はまだ気が多いのだ。君の徳は天とひとつになっているし、私はこまごました世事に追われているというわけだ」。
そもそも天地というものは、昔の人が尊敬したもので、黄帝、堯、舜といった天子がいずれも礼賛したものである。故に昔の帝王がなにをしたかといえば、ただ天地の道に従うだけだったのだ。
病は気から:達生篇 第十九 七
斉の桓公が沢地で狩猟をしたとき、管仲(かんちゅう・斉の名宰相)が手綱をとっていたが、怪しい化け物が桓公の眼に入った。そこで管仲の手を押さえ「管仲よ、何が見えたか」とたずねたが、管仲は「私は何も見ませんでした」と答えた。
桓公は狩りから帰ると、数日の間、屋敷に引きこもったきりだった。斉の士人で告敖(こくごう)と言うものがいて、こんな事を言った「殿様は自分で病気になっているのです。化け物には殿様を病気にする事はできません。そもそも内に篭った気が外に発散して元に戻らないと、気力が不足して放心状態になるのです。気が上に上って降りないと、ひとを怒りっぽくさせますし、反対に下に降りて上がってこないと、人を忘れっぽくさせます。気が上がりもしなければ、降りもせず、体の真ん中に止まっていないと病気になるのです」。
桓公はたずねた「ならば化け物はいるのかな」。告敖は答える「居ります。泥水には履(り)と言う化け物が居り、かまどには髻(きつ)がおります。戸口の中のゴミ捨て場には雷霆(らいてい)と言うのが陣取って居り、家の東北の低地には倍阿(ばいあ)とか鮭壟(かろう)と言うのが飛び跳ねており、西北には泆陽(いつよう)と言うのが居座っています。水辺には罔象(もうしょう)が居り、丘では崒(しゅつ)が、山には(き)が、野原には彷徨(ほうこう)が居り、沢地には委蛇(いい)がいます」。
公は自分が化け物を見たのが沢地だったので、すかさず聞いた「委蛇の様子はどんなのだ」。告敖が答える「委蛇は身の太さは車輪の軸枝ぐらい、長さは車の前の長柄ぐらい、紫の着物で朱色の冠をつけていますが、その有様はとても醜悪です。雷鳴のような車の響きを聞くと、頭を持ち上げて立ち上がるのです。珍しくこれを見た者はおそらく覇者になるでしょう」。
桓公は嬉れしげに笑うと「これこそ私が見たものだ」といった。そこで服装を整えて告敖と座していたが、その日も暮れぬうちに病気は治っていた。
処世:山木篇 第二十 一
ある時、荘子が山の中を歩いていて、枝、葉が大そう茂った大木を見つけた。ところが木こりがそのそばで足を止めても、伐採しようとしない。そこで理由を尋ねると「使いようが無いのです」と答える。荘子はそこで「この木は無用のおかげで切られず、天寿を全うする事ができるのだ」とつぶやいた。
山を出てから旧友の家に泊まったが、旧友は喜んで召使に鵞鳥を殺してもてなすように命じた。召使は「一羽はよく鳴きますが、もう一方は鳴く事ができません。どちらを殺しましょう」とたずねた。主人は「鳴かない方を殺せ」と答えた。
あくる日、弟子が荘子に向ってたずねた「昨日は山中の木は、能無しの役立たずのおかげで天寿を全うする事ができましたが、ここでは鵞鳥は能無しのために殺されてしまいました。先生は有能と無能のどちらに身をおかれましょうか」。
荘子はにっこり笑って答えた「私は有能と無能の中間に身を置こうと思う。だが有能と無能の中間と言うのは最善に見えてもそうでない。だから世間のわずらいからまだ抜け出せないのだ。
ところが、真実の道とその徳(はたらき)に身を任せて、のびのびと自由に遊ぶ境地ともなると、これは違ってくる。もはや名誉とか非難といった世間的な評判から超越して、ある時は竜となって大空を駆け巡り、ある時は蛇となって地上を這い回り、時の推移とともに変化して一つの立場に執着した行動は取らない。
ある時は高みに上り、ある時は低く身を沈め、調和そのものになりきって、万物の始原(道の世界)でのびのびと遊んでいる。外界の事物を事物とする主人の立場に身をおいて、外界の事物のためにふりまわされる一個の事物とはならないのだ。どうして世間のわずらいを受ける事があろうか。これこそ太古の聖王である神農や黄帝が模範とした事であった。
ところがこの世の万物の有様と人間社会の移り行きはとなるとそうでない。会えば離れ、完成すれば壊れ、角だっては崩れ、高貴になっては害に会い、何事かしては危うくなり、賢者であれば謀略にかかり、愚者であれば騙される。どうして安定した立場が得られようか。悲しい事だ。弟子たちよ、覚えておくがよい。才能があるとか無いとか、どちらにしてもそこには安らかな境地は無い。ただ道徳の郷、真実の道とその徳(働き)が生きている世界だけがあるのだ」。
真理:徐無鬼篇 第二十四 十三
暖姝(けんしゅ)、軟弱で、こびへつらって自己の意見を持たず、他人の学説に同調するだけの者がいる。濡濡(じゅじゅ)、ぐずぐずためらって平安をむさぼる者がいる。巻婁(けんる)、事に縛られて動きの取れない者がいる。
暖姝といわれる者は、一人の先生の言うことを
学び取ると、おとなしくそれに従って身を整え、それで自分ひとりで喜んで、すっかりそれに満足して喜んでいる。もともと物の存在しない究極の世界といったことには、全く気がつかない。そこで暖姝な者と言うのである。
濡濡の者とは、豚に付いたしらみのようなものである。豚の粗く長い毛の間に住処を定め、自分でそれを広い御殿と考え、両股の間、ひずめの奥、股の肉、乳のあたり、四つ足の付け根といったところを、安全な居り場所と考えている。ところが屠殺者が突然腕に力をこめて豚を殺し、枯れ草に火をつけたとなると、自分も豚と一緒に焼かれてしまうのだということには気がつかない。これは進むも退くも決まった囲いの中だけにとらわれているのだ。これが濡濡の者である。
巻婁の者とは舜のような人のことである。羊の肉は蟻を好むのでないが、蟻の方で羊の肉を慕ってやってくる。これは羊の肉が生臭いからだ。 舜の場合にも生臭い行いがあったから、民衆はそれを喜んで集まったのだ。だから三度住みか変えて、変えるたびに大きくなって都会になり、鄧(とう・町の名)の城跡に行ったときには、十余万戸にもなった。堯は舜が優れた人物であることを聞くと、これを不毛の土地の君主に取り立てて、「どうかこの荒地を豊かなものにしていただきたい」といった。舜はこうして不毛の土地の君主に抜擢されてからは、年老いて耳目も衰えるようになっても、引退して休息することが出来なかった。これがいわゆる巻婁の者である。
こういうわけで神人は大衆が集まってくるのを嫌った。大衆が集まってくるとそれに愛情をかけたりせず、愛情をかけることがないと大衆の利益になることもないのである。そこで誰かを特に強く信愛するといったことをせず、また誰かを特に疎んずるといったこともせず、本来の徳性(もちまえ)を大切に守って自然のなごやかさを暖め、そのようにして世界のあるがままにしたがっていく、これを真人と言うのだ。
蟻についていえば、羊の臭いをかぎ当てる知恵を捨て去り、魚についていえば豊かな溝の中で互いの存在を忘れるというあの教訓を学び取り、羊についていえば、そのにおいをふり巻いて蟻を集めるようなことをしない。目では目を注視し、耳では耳を聞き取って、心のはたらきもその心そのものに復帰する。このような人物は、その平常のあり方では墨縄を引いたように乱れがなく、変化するときには自然のままにしたがって無理がない。
昔の真人は、自然のあり方を模範としてそれで人事を処理し、人間のさかしらを自然の境地に持ち込んだりしなかった。昔の真人は得ることが生で失うことが死であるとともに、また得ることが死で失うことが生でもあった。
薬と言うものは、その実際はトリカブトであったり、キキョウであったり、ケイトウであったりイノコグサであったりする。これらはかわるがわる主要な働きをするもので、その種類はとても言い尽くせるものではない。越王の句践(こうせん)は三千の武士を引き連れて会稽山(かいけいざん)に立てこもったが、その敗亡が実は将来の興隆の原因ともなることを看破できたのはただ大夫の文種(ぶんしょう)だけだった。しかしその文種でさえ、自分の身がやがて殺される憂き目を見ることには気付かなかった。
(一部略)
そこで足が地面を踏む場合、足が直接踏みつけている場所はほんのわずかであるのに、踏みつけていない他の地面の広い事を頼って、初めて安心して歩く事が出来るのである。これと同様に、人間の知識は極わずかなものではあるが、人間の知り合えない広い知識を頼る事によって、初めて天道の自然を知る事ができるのである。 大一を知り、大陰を知り、大目を知り、大均を知り、大信を知り、大定を知るものは最上の知に到達した者である。大一は万物に通じてこれを生み出し、大陰は一切の紛糾を解きほぐし、大目は宇宙を達観し、大均はそれぞれの本性に従って自得させ、大方はそれぞれの分に安んじる事を体得し、大信は自然の大道にいたり、大定はこれと一致して不動となるものである。
人の知の尽きるところに天があり、この天道に従って行くときに人知は自然と明らかになるのである。暗くかすかで言葉を越えた自然の中にこそ万物を運行させる働きがあり、原始の状態においてすでに彼我の対立がある。
このように考えれば、人知によって物の理を解したといっても、それは理解せぬと同じであり、人知によって知ったといっても実は知らないと同じである。自己の知を忘れて、不知の立場に至ってこそ真に知るという事になるのである。道は有限でもなければ、無限でもなく、有無の限界を超えたものである。
全てのものは錯乱した状態にありながら、その中にはそれぞれの実理があり、それは古今を通じて変わらないものであり、それぞれ分を尽くして欠けることの無いものである。
かく考えれば、天地には一大法則が行われているといわなければならない。人々は何故にこのことを問いただす事もせず、いたずらに惑っているのかであるか。上に述べた不惑の実理によってこの惑いの心を解きほぐし、不惑の境地に復帰したならば、一切の惑いを超越した最高の心経を得るに至るのであろうものを。