採録
侵攻3年を機に開かれた 2/24 の国連総会で、ウクライナやEUが提出したロシア軍の撤退を求める決議に対して、アメリカがロシアと共に反対票を投じるという劇的な一幕があった。不都合な事実なので日本のマスコミは詳しく報道していない。
「民主主義陣営と権威主義陣営の対立」の図式は、国際社会の前で一瞬にして説得力の根拠を失い、イデオロギー的意味を崩壊させたと言えるかもしれない。
今、CIAの御用報道機関である西側マスコミは、金切り声を上げ、「侵略したロシアが戦争に勝つのはおかしい」「侵略国のロシアを勝たせてはいけない」と咆えている。日本の世論も99%がこの意見と感情だろう。だが、トランプ主導の和平プロセスでは、勝者はロシアであり、敗者がウクライナ(NATO)となることが明確で、だからこそトランプは、「戦争はウクライナが始めた」と示唆する発言を漏らし、戦争の責任がロシアにではなくウクライナにあるとする見方を示している。
マイダン革命の謀略的不当性を暴露し批判する認識に他ならない。2014年からのロシアとウクライナの紛争について、ロシア側の言い分を認める立場の見解である。
NATOが3年間の半総力戦の末に、通常兵器での極限の大戦争の果てに、ロシアに負けたのである。
なぜNATOは負けたのか。ポイントは二つある。第一点は、23年夏の反転攻勢の失敗である。NATOの参謀が、兵力を集中して南部の防衛線を衝き、ロシア軍占領地を東西に分断する作戦を進言したのに対して、ゼレンスキーが政治的思惑と慎重姿勢から兵力を分散させる戦術に出たため、23年6月の反転攻勢は失敗に終わった。ロシア軍が反撃して防衛線は維持された。その後、NATOは次第に戦意喪失となり、翌24年の米大統領選へと関心が移る状況となって、軍事的にロシア軍に大打撃を与えて占領地から追い出す作戦方針は諦められた。指揮系統の不安定だけでなく、予想した以上にロシア軍の防衛線が強固で、ロシア地上軍の能力も向上しており、NATO(ウ軍と言わずNATO軍でよいだろう)が自信を持って投入した虎の子の機甲部隊の損害が大きかったため、反転攻勢の第二弾は見送られた。
NATOが負けた軍事的理由の第二点として、ロシア地上軍の命を顧みないカミカゼ的突撃戦法の効果がある。是非は別にして、純軍事的に、NATOはこの戦術を無力化する有効な手段と対策を見い出せなかった。22年のマリウポリ、23年のバフムト、24年のアウディーイウカと、ロシア軍が死闘の末に陥落させた要衝の勝利は、全てとめどなく兵士の人命を犠牲にした白兵突撃の戦果であり、ウクライナ軍よりもロシア軍の犠牲の方がはるかに多い。CIA広報官たる西側マスコミは - 秋元千明や小泉悠や高橋杉雄や駒木明義の口調と口上を想起していただきたいが - その戦法を常に悪罵し侮辱し、愚劣な蛮行だと誹謗していた。人権の観点からはそうだろう。だが、ロシア軍がそれを敢えて続けたのは、軍事的実効性があるからであり、局地での消耗戦に持ち込んで長引かせれば、歩兵の動員で劣るウクライナ軍(NATO)が必ず劣勢に立つという戦略的判断があったからだ。
ウクライナは無理やり強制的に兵員を補充できるが、NATO全体(米国とEU)は戦場に派兵できない。人口がロシアより少ないウクライナには兵員補充(死んで行く人命数)に限界があり、その競争を続ければロシアが自ずと勝つ。そうした、きわめて原始的で残酷な計算があり、結果的にそれが戦局を制した。
ここまでロシア軍の戦死者が増え、戦車が破壊された時点で、ロシア軍の方が降参して白旗を上げるというのがNATOの見通しだった。ロシアはそこを突破した。NATOの軍事計算で不可能なことを、結果的にロシアは可能にした。そして勝利(惨勝)を得た。われわれが考えるべきは、なぜロシアにそれが可能だったのかという問題だろう。答えは、それがロシアにとって防衛戦争だったからだ。
そのロシアの人命消耗戦法は、第二次大戦でソ連がナチス相手に戦った戦法と同じである、と説明できる。独ソ戦でソ連は2700万人の死者を出した。プーチンの両親は「攻防900日」のレニングラード包囲戦を経験している。3年前に侵攻が始まったとき、ロシア国内では反戦世論とプーチン批判が沸騰し、反戦を訴えて抗議した市民は捕縛・投獄され、絶望した数百万の若者が国外に脱出した。あのとき、世界の多くの者が、ロシア国内は割れるだろう、今度こそプーチンの独裁体制は崩壊するだろうと思ったものだ。内部からの瓦解によってロシアは戦闘不能となり、ロシア軍とロシア国家が崩壊するだろうと結末を予感した。西側マスコミはそれが必然の運命だと言い立て、来る日も来る日もロシアの自滅と最期を呪詛する黙示録を唱え続けた。木村太郎は22年3月の時点で、侵攻4か月後の22年6月にはロシア経済が破綻して継戦不能になると嘯いていた。西側の制裁が奏効して壊滅するだろうと。
22年4月の報道特集では、アクーニンという日本文学の翻訳家のロシア人が登場して、この侵攻がロシアに破滅をもたらし、ロシア連邦は四分五裂に解体される運命になるだろうとプーチンを恨んで絶望していた。孤立したロシアは世界を敵に回した戦争に負け、プーチン体制が崩壊し、広い領土の各地で内戦が勃発する事態となり、国内は争乱で阿鼻叫喚の地獄になるだろうと言った。その悲観論には少なからず説得力があり、当時を振り返ると、3年後に現在の状態になっているのが奇跡に見える。ロシア経済は破綻しなかった。戦争反対の声とプーチン退陣の要求は徐々に沈静化し、逆に戦争を支持する声の方が大きくなった。BBCの報道では、ロシア軍兵士の死者数は9万5000人以上で、ウクライナ軍の2倍に及び、14万人から21万人に上る可能性もあると言う。兵力の消耗は甚だしく補給困難に陥っていて、武器の補給はさらに厳しい状況にある。しかし、ロシア軍の継戦能力は衰えない。
犠牲者を出しながら戦線を着実に押し上げ、新しい兵士(人命)を調達して攻撃態勢を維持している。なぜそれが可能なのか。答えは、プーチンに呪い言葉を吐いたアクーニンの予想の中にあるだろう。ロシア国家が解体される危機を防ごうとする国民の意思が、戦争継続を我慢する態度を導いているのであり、ナチス侵略の恐怖の記憶がロシア国民に蘇っているからだ。国家存亡の危機だから、国民がプーチンの強権独裁と戦争指導を支えているのである。
2003年のグルジアのバラ革命、2004年のウクライナのオレンジ革命を目撃し、同時並行で進んできたNATOの東漸を凝視してきたロシア人は、バンデラ信奉を復活させたマイダン革命が何かの真実を見抜くのに手間と時間は要さなかっただろう。欧州がアメリカ一極支配の下に包摂される過程は、欧州で一定程度勢力を保っていた社会主義が衰弱して廃れ、ネオコンの思想と戦略が欧州の安保外交クラスタで主流となる過程でもあった。それは、第二次大戦でソ連が果たした反ファシズムの役割と功績と歴史的意義を、欧州が否定し忘却し抹殺する過程であり、また、特に英国が執拗に発信してポーランドとバルト3国が反響し拡声するところの、ロシア・フォビアの空気が隆盛を極めて欧州大陸を覆う過程でもあった。そうした21世紀の最初の20年を経験し、ロシア国民は今回の(世界を敵に回して悪者となる)侵攻に直面したのであり、解釈と心境は複雑で、何を価値観として判断し対処すべきか懊悩したに違いない。
ソ連崩壊後に膨張肥大したネオコンの野望が、ロシアの国家防衛エトスとプーチンの窮鼠の一撃を受け、挫折の展開となり、NATOは存在意義を失った。ロシア叩きに狂奔して世論を扇動した日本の似非文化人たちも、NATO(ネオコン)と共に一敗地に塗れた。停戦協議を前にして、プーチンを支持したロシア国民の気分は、忍耐と犠牲のスターリングラードの戦いがようやく辛勝で終わったという感覚だろう。