実存メモ98

実存メモ98
どんな関係でも、実存的孤独(existential isolation)を完全に取り除くことはできない。
しかし、人は孤独を共有することができる。そうすることで、愛が孤独の痛みが和らぐことがある。

実存的孤独はとても苦しいものなので、人はすぐに防衛機制を作り、強く守ろうとする。
しかし、自分が本質的に孤独な存在であることを深く認められるようになると、他の(同じく孤独な)人々と本物の関係を築くことができるようになる。
心理療法で成長した患者は、「親密な関係の素晴らしさ」だけでなく、「親密な関係にも限界がある」ことを学ぶ。
彼らは「他人から得られないものがある」ことを理解するようになる。

経済的にも物理的にも一人で生きることはできないが、意識としては、一人で死んでゆく自分の限界と寂しさと虚無を受け入れるしかないと思って生きている。

しかしそのように思うときには言葉を使っている。言葉は共同体のものである。言葉の共同体に参加しているだけである。言葉で考えている時点ですでに共同体的存在である。

個人は例えば、肝臓ではなく、肝臓の細胞の一つである。古くなったな、新しい細胞と入れ替わる。そのことで、肝臓全体の機能は維持される。

死ぬときは一人だが、生きている限り共同体的存在である。

孤独を共有するという表現は矛盾である。

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