精神療法の理論と技法を勉強しなおしている。
温故知新。学びて時にこれを習う。
例えていえば、winでもアップルでもリナックスでも、表計算ソフトやメモ帳やブラウザを使うことに似ている面がある。
ぴったりの比喩にはなっていないが。
それぞれの理論で、人間観、性格観、疾病観、治療観、人生観、世界観などが根底にある。これがOSにあたる。
そして、技法として、マインドフルネスとか、瞑想、エンプティチェア、ボディスキャン、スキーマ、モードなどをほぼ自由に活用する。これが表計算ソフトやブラウザにあたる。
どんな人間観を持っていても、マインドフルネスを応用して使うことができる。
厳密にいえば最適ではないのかもしれないが、活用できないことはない。実用には十分である。
認知行動療法はスキーマとかモードとか取り入れて強調していて、一方で、スキーマ療法ではさらにその先に進展していて、大きな世界を形成している。
この様子は、グーグル・クロームが、表計算もワープロも呑み込んで、プラットフォームのように成長しているのに似ている。
精神分析と行動療法が君臨していた世界に、ロジャーズやエリス、ゲシュタルト、マズローなどの時代があった。
一旦は拡大したが、それほど広がらなかった。
その後はベックの認知療法が広がった。
行動療法と統合され、認知行動療法となった。
一方で、認知療法と精神分析との統合を試みた人たちもいたが、あまり広がらなかった。
最近は認知行動療法と精神分析の統合を言い始めた人があったが、さして広がらなかった。
つまり、精神分析の資産を呑み込みたいと統合に乗り出すのだが、精神分析側は簡単には飲み込まれないで存続している。
世代交代が進めば、さらに精神分析の資産は失われてゆくのだろう。
次の精神分析との統合相手はニューロンネットワークの世界観である。
精神分析の知見を考えてみれば、それは表計算ソフトやワープロソフトがOSによらず活用されるのと似ていて、基本的な人間観とは切り離されて、利用されてゆくのだろう。
精神分析に特有の用語を使わずに、内容を表現できて、治療に活用できるなら、治療場面では、それで何も問題はないわけだ。
治療技法ではないが、自由エネルギー原理などは将来、ニューロンネットワークの話と精神分析的資産の統合に向かうのかもしれない。自由エネルギー原理でもまだまだ理念的なものであって、もっと唯物論的で、数学的なに表現できる原理が提案されるだろう。
その時、ニューロンネットワークの原理が、精神分析の資産を再検証することになり、意味のあるものと意味のないものとをふるい分けることになるだろう。防衛機制などはニューロンネットワークの言語で言い換えられるだろう。エディプスコンプレックスなどはたぶん忘れられるだろう。