了解拡大の試みと将来の精神医学

了解拡大の試みと将来の精神医学

医学史家のショーター(Shorter, 2005)は、精神医学の歴史をふり返りながら、それが以下のような三つの期間に分けられるであろうと述べている。

①一七七〇年から一八七〇年まで続く精神病院・施療院(アサイラム)の時代。この時代は生物学的概念が支配していた。

②一八七〇年代から一九七〇年頃までの精神療法の時代。この時期の後半はフロイト(Freud, S.)の精神分析学が大きく流布した時代である。

③一九七〇年代から現代までの、生物学的精神医学の第二の時代が現れる。この期間に生物学は復権し、力動精神医学的視点は大幅に払拭され、精神療法・心理療法は精神科医から心理士の手へと移動した。
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「大きな物語(grand récit)」とはフランスの哲学者リオタール(Lyotard, 1979)が述べた概念である。

彼は特定の時代に、要約されながら広く流通する大義名分的な価値観を「物語」と呼び、そのなかでもさらに覇権的で、これに乗らない者を圧殺しかねないものを「大きな物語」と呼んだ。近代がめざしてきた歴史の進歩、人類の解放、正義、真理などがこれに当たることになる。さらに言えば、キリスト教、近代科学、マルクス主義、日本で言えば、戦後民主主義や経済成長などが例として挙げられる(丸山1997)。

このように近代が前提とする物語が終焉し、普遍的真理ではない「小さな物語」を不断に語り、問いかけることが、それ以降の現代の、つまりはポストモダンの条件とされた。
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七〇年代は、日本に限らず、精神医学と人間科学が限りなく接近し、部分的には重なり合った稀有な時期であった。サリヴァン(Sullivan, H.S.)やレイン(Laing, R.D.)が読まれた。この時期は反精神医学のピークでもあった。
反精神医学は、精神疾患の存在の否定ではない。レイン、ゴッフマン(Goffman, E.)、バザーリア(Basaglia, F.)など、患者とされる対象の主観的経験をいかに理解するかという問いから出発していたとも理解できる。

伝統的な「了解(verstehen)」と「説明 (erklären)」の区分に飽き足らず、当時民俗学や人類学が示しつつあった他者理解、つまり民族誌学的(ethnographic) な文脈とともに疾患や障害をとらえる試みが始まった。日本での例としては、柳田国男『山の人生』の中で憑依(狐憑き)事例を挙げている(柳田 1926/1976)。

他者理解の枠を広げるさまざまな試みが提出された。
・現象学的社会学。シュッツ (Schutz1970)の『現象学的社会学』。バーガーとルックマン (Berger & Luckmann, 1966) の『現実の社会的構成』。
・解釈学的人類学。ギアーツ [Geertz, 1973、1983] の代表論文「厚い記述」「住民の視点から」。
・クラインマン (Kleinman, 1980)の『臨床人類学』。

・ギアーツ。片目をつぶった少年の理解に、彼が単にまばたき (twitch) をしたのか、目くばせ(wink) をしたのかをめぐって展開される「厚い記述(thick description)」。
・自己心理学のコフート (Kohut) の概念である「経験に近い(experience-near)」「経験に遠い (experience-distant)」を援用、「その土地 (native) の人」の視点にいかに近づくか、彼ら/彼女らの経験にいかにアプローチするか。
・「感情移入(einfühlen) が消失したとき、了解(verstehen) に何が生じるのか?」 [Geertz, 1983, p.56]

・客観的で揺るがないとされた基礎データ(「歴史的真理」)への懐疑や再検討がこの時代に生じた。
・代表的な人類学的著作や症例記述がその制作過程まで含めて批判的に再検討されるようになった。

・精神医学や臨床心理学領域で大きな影響を与えたものの代表が、フロイトが詳述した、精神分析学におけるヒステリーの代表症例であった。その「実像」が症例の「記述」を透して、歴史的リアリティを伴う「厚い記述」のなかに姿を現すことになった。
・『ヒステリー研究』 (Freud, 1895) の症例エミー・フォン・N (Emmy von N)、アンナ・O (Anna O)、症例カタリーナ (Katharina)、さらには、当時ウィーンの誰もが知る有名人であるゆえに断片的に記さざるを得なかったツェツィーリエ (Cäcile M) 夫人。また『あるヒステリー患者の分析の断片』で記述され、精神分析の典型事例ともされる症例ドラ(Dora)。これに症例「狼男」やシュレーバー。こうした代表症例が、実名と写真、具体的な生活史をもつ実在の人物として再発掘された。のちに児童・女性の社会福祉領域でその地道な功績が認められ、ドイツの切手にその肖像画が描かれ、彼女の記念博物館まで開設されているアンナ・Oことベルタ・パッペンハイム (Bertha Pappenheim: 1859-1936) については、エランベルジェ (Ellenberger, 1972)をはじめ、数多くの関連研究書があらわされている。

・こうして「解釈学的転回」以降、症例やフィールドワークの記述は、スペンス (Spence, 1982) が指摘するように、「歴史的真理(historical truth)」というより、その時々優勢な語り口によって構成される「物語的真理(narrative truth)」を明らかにする。

・治療者もまた一人の読者のごとく、白らの経験をもとにそのつど患者の世界を「部分的真理」として構築していく。「物語的真理」すなわち解釈学的方法論。

・そのつどの真理を明らかにする「語り (narrative)」 への注目。ナラティヴへの関心。
・ナラティヴは、二〇世紀初頭のジャネ (Janet, 1928) の物語論を源泉とし、現象学的社会学(社会構成主義) や解釈学を経由して産み出された。

・一九八〇年に米国精神医学会(APA, 1980) によって提示されたDSM-Ⅲは、新クレペリン主義として知られている。
・疾患それぞれがしっかりとした輪郭を持つカテゴリカルな前提で構築され、典型症状のいくつかが揃えばその診断に至るという操作的診断基準を特徴とした。
・北米で覇権を握っていた精神分析学を中心とする力動精神医学は完全に払拭された。
・精神病理学や力動精神医学への関心は消褪し、精神医学は神経画像や精神薬理学を中心とする生物学的な方向へと急速に舵を切る。
・精神科医の手から精神療法や力動的発想が離れ、臨床心理士の手に委ねられるようになった。

・DSMは従来の精神科医が診断の際に考慮した、病前性格論に代表される、患者の人格にいわば「練り込まれた」疾患ではなく、その人のいわば表面に.withで付着する異和的なものという図式をもたらした。これは、日本における精神科クリニックの普及とともに、一九世紀の遺伝変質学説を基底とした重苦しい精神疾患概念を変更することになる、いわば診断と治療のライト感覚化に大きな効果をもたらした。

・しかし、精神薬理学の急成長とともに開花した「大きな物語の終焉」以降の精神医学・医療は短期間のうちに大きな綻びをみせるようになる。
・その象徴的な出来事が、製薬企業による臨床エビデンスの操作と疾患喧伝 (disease-mongering)である。
・精神薬理学的根拠を制作する基本部分(薬剤の治験、データ解析、論文作成と主要雑誌への掲載、エビデンス形成)にグローバル化した製薬企業が大幅に介入し、都合のいい結果を導き出し、普及させることが可能になった。その後米国では、主要な精神薬理学者と製薬企業の大々的な癒着が暴露され、学術雑誌に投稿する際の厳格な利益相反(COI)の公示や製薬企業からの個々の医師への資金の流れが公表されるようになった。

・一方には、さらに生物学的視点を徹底させ、遺伝的・神経科学的に精神疾患を探究していこうとする系譜がある。米国精神保健研究所(NIMH) が提唱する研究領域基準(RDOC: Research Domain Criteria) プロジェクトがその代表である。これは精神薬理学中心では治療成績が上がらない現状と上記の社会的醜聞を受けて、さらに神経科学的探究を進めていこうとするものである。
・他方で、今世紀に入って広く注目されるようになった当事者運動に着目しながら、より社会的・人間科学的に精神疾患を開放していこうとする系譜が現れている。この一端は、英国心理学会・臨床心理学部門監修の『精神病と統合失調症の新しい理解』(Cooke, 2014) などで紹介されているように、「リカバリー」や「レジリエンス」という概念を採り入れた社会運動である。
・同じく英国では、生物学一辺倒の視点から離れ、精神医学や心理学を哲学や人間科学の文脈から再度構成しなおそうという試みが行われ多くの関連書籍が出版されている(たとえばオックスフォード大学から出版されている『精神医学と哲学のハンドブック』(Fulford et al., 2013)をはじめとする書籍群)
・日本で出版された「精神医学の哲学」シリーズ三巻(石原ほか 2016)も、精神医学をめぐる変革期に際して、人間科学や当事者運動を含んだより幅広い諸潮流の統合を求めようとする企画である。

・生物学的基礎をさらに探究しようとする系譜と、より広く人間科学や当事者運動を採り入れながら解決を探ろうとする系譜は、両者を統合するアプローチを目指すものの、必然的にこの二つの領域の分断を生み出す。一人の人間の能力の限界もあり、統合は難しい。
・医療やケア職が、専門職化すればするほど「間違いなく癒すことに失敗する」。クラインマン (Kleinman, 1980)台湾でのフィールドワークから。

・精神病理学体系や精神分析学という「大きな物語の終焉」。それに取って代わり一九八○年に象徴的に出現したDSM-Ⅲ以降のアメリカ精神医学会の診断基準の世界的普及。

・現在、スペクトラムを多用した(「新ウェルニッケ主義」と呼んでもいいような) DSM-5 (APA, 2013) が新たに出現している。DSMにおいて障害の数がますます増加する一方であり、中には廃止される障害もある。さらに、何が「非定型」かも正確に問われぬままに「非定型抗精神病薬」という名称が流布している。それらは新たな「大きな物語」を形成しているからであろう。

・今後、精神医学のひとつの極は、神経科学化=生物学化への道。他方の極は、幻聴や妄想までも人間的な営為の枠内に取り込んで当事者の支援や地域ケアを組み立てようとする方向。
・二極化進行。

・医学内部では、精神障害カテゴリーから、神経障害カテゴリーへ。特定の障害の本態が生物学的・神経科学的に解明されるとき、それは精神医学という領域からも引き離されていく。たとえばICD-11β草稿で、認知障害が精神と行動の障害ではなく、神経疾患の項目にのみに記載される可能性が高いという事態に対し、日本精神神経学会が前者の障害としてもコード化するように要請していた。

・神経科学と精神医学と臨床心理学の境界は、公認心理師の誕生も含めて、その専門分野のいわば領土問題を伴いながら、今後も大きく変化していくことになる。
・「大きな物語の終焉」以降の精神医学は、精神医学・医療が、一体何をする学問であるのか、その隣接領域とどのような関係を取りながら進むのか、悩んでいるところである。
・自然科学の当然の結果として、従来の「人間学的・民俗学的・了解拡大的」方向は、神経細胞科学に吸収されてゆくだろう。時間がかかることだが、方向としては間違いない。
・かつて、てんかんが精神医学から神経学に移行された。同様に、精神症状が目立つけれども、本体としての神経細胞の障害が明らかになったものについては、神経学に移行されるだろう。認知症もその一つである。
・「人間学的・民俗学的・了解拡大的」要素は、治療場面では不可欠であるから、当然、生き残るだろう。したがって、自然科学的理解と、人間学的理解の、二重の営みが継続されることになる。
・背景として、職業的領域の問題がある。イギリスなどでは医療費削減のため、安価な精神療法が、取得容易な免許の職業者に分担されている。それは「人間学的・了解拡大的」方向の社会的普及を促進し、学問的推進力を減退させるだろう。
・薬剤開発の勢いも、製薬会社による精神科疾患啓発宣伝の勢いも、やや落ち着いている。

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