偏見や先入観と認知行動療法と現象学的態度
・最近の精神療法は主に認知行動療法である。
・認知行動療法が何をしているかと言えば、私の考えでは、次のようになる。
・人間はものごとに接して何かを考えたり感じたりするとき、何の先入観もなく、何の偏見もなく、考え感じることはない。
・これは、人生でいろいろなことに遭遇するにあたって、いちいち、一から観察して、事実を検証して、そのうえで考えたり感じたりするのはあまりにも能率が悪いからだ。
・人生で出会う出来事には類似点が多い。だから大まかに分類して、把握する。事実関係の基礎となることについて、今までの経験でさほど間違いではないと分かっていたら、それらのことは前提として肯定し、さらに今回新しいと思える部分だけに注目して、考えたり感じたりする。
・エネルギーを節約するための態度である。
・数学の問題で、これは公式が使えると分かると、思考を節約できるのと似ている。
・たとえば、○○国の人はみんなそうだとか、○○県の人はどうだとか、長女だからどうとか、上司は父に似ているからどうだとか、交通事故の時にはみんなどうだとか、みんな詳細な事実認定を省略して、結論を導いている。女だからどうとか、男だからどうとか、粗雑に考えて断定する。
・似ている状況と言っても、本質をとらえていない。何が似ているのか、よく理解していない。
・しかし一方で、いちいち最初から検分するには時間がない。
・たとえば卓球の選手は、ラケットの角度とか振りのスピードなどを細かく検討しているわけではなく、長い時間をかけて、自分の基礎的な部分を作り、相手がどんな時はどういうボールが来て、それを打ち返すにはどうする、そのときに特殊なポイントをつかむようにする。そうでなければ、一瞬の判断ができない。そのようにして認識能力を節約している。いつの時でも前提としてよい条件と、その時限りの特殊条件がある。
・生まれ育った環境が今も続いているなら、生まれてから蓄えてきた脳内回路が有利に働いて、思考を節約できる。しかし環境変化が大きいと、先入観とか思い込みとか自動思考とか、あるいは偏見のようなものになって、正確な認知を妨害するようになる。
・例えば、ある人に対して上司として教育的に接したら、パワハラだと抗議されたとする。自分の側では上司・教育・会社の条件を基礎にして、その新人に適した態度をとったつもりが、その新人の脳が持っている前提条件はかなり違ったものであり、パワハラをされたと被害を申し出た。
・つまり、体験した内容はAで、同じであったとしても、その意味づけを考える前提条件としての、X,Y,Zが違っている。
・前提としてのX,Y,Zを改めて考え直してみようというのが、認知行動療法の一面である。
・自動思考とは、そのひとなりのX,Y,Zがあるから、Aが起こったとき、例えば怒りとかたとえば悲しみとかになることだ。別の人には別のX,Y,Zがあるので、Aが起こったときも、怒りにもならず悲しみにもならない。それもその人の自動思考である。
・自動思考がその場に適合していれば問題ないが、その場に適合していない場合、少しの訂正を考えてみてもよい。
・昔のドイツ哲学の現象学的態度とは、ものごとに接したときに、自分が無意識のうちに前提しているX,Y,Zについて、一度留保して、自分の目で見て考えてみようということだ。もちろん、これは深くまで考えるときりのないことで、どこまでも深く、前提条件や思い込みや偏見を吟味することができる。だからある程度で区切らなければならないのだが、それでも、自分の経験からくる偏見や、時代や地域に由来する偏狭な考えから自由になることを心がけることはできる。
・現代では、自分の人生の経験から得られたX,Y,Zの前提条件ではなく、余り根拠がない、単にネット空間で人気を集めるための言論があり、そうしたことを自分のX,Y,Zにしている場合は、なかなか大変だと思う。ただ、その人たちは、実人生はうまくいかなくても、ネット空間ではうまくいくのかもしれない。ネットの向こうの人もX,Y,Zを共有しているとすれば、話は通じやすいはずだ。
・ときには、自分はどのような無意識の前提を持っているか、吟味してみることもよいと思う。
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・その人がいつも前提としていることはX,Y,Z
・現在の特殊条件はA
・1の人は(X(1),Y(1),Z(1))+A=悲しい
・2の人は(X(2),Y(2),Z(2))+A=うれしい
・2に強く影響された3の人は(X(2),Y(2),Z(3))+A=寂しい
などとなっているので、X,Y,Zを入れ替えれば、考え方も感じ方も変わる。