天才を超えてゆく人たち

アインシュタインとかフロイトとかマルクスとか、PCもインターネットもスマホも人工知能もなかったころの人たちだ。でも圧倒的に優秀だった。

大規模言語モデルとか量子コンピューターとかをアインシュタインが子供時代に使えていたら、どんなことをしただろう。

ガウスとかオイラーとか、素人から見ても超越している。こんな人たちに新しい道具を使ってほしかった。(まあ、彼らの業績が結局は基礎になっているのだが。)

約100年たって、新しい天才たちは古い時代をどんどん追い越してゆく。

人工知能は確かに素晴らしいが、そうした新しい道具を見事に使いこなして、新しい天才のひらめきを見せてくれる新しい人類の出現が待ち遠しい。もうすぐだろう。

物理学と数学は、ニュートン力学、電磁気学、熱力学、相対性理論、量子力学と、連戦連勝で、自然科学の模範だった。その延長戦での、精神医学における勝利も、必ず起こるだろう。光学顕微鏡、電子顕微鏡、遺伝子配列検査器など、道具が発展して、科学の内容も発展した。精神医学も、神経細胞同士の結合の科学の方向に進むのか、あるいは、神経細胞内の構造解析に進むのか、やってみないと分からないが、まず新しい道具が開発されて、そのあとで、新発見があるような気がする。新しい道具は、精神機能の測定に関する項目ではないかと思う。

明白な前提は、人間の精神機能は、脳を構成する脳神経細胞を代表とする何種類かの細胞が作り出す何かであるということだ。それらの細胞の働きを分析して考えてみるしか方法はないように思われる。細かく見ると、驚嘆するしかない発展であるが、大きくみると、本質的な突破はまだ始まっていないと思われる。

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紀元前の大思想家成立の時代が話題になることもある。ソクラテスなどのギリシャ、釈迦などのインド、孔子などの中国。そしてそれは何回も起こらなかった。一回だけでよかったのだろうか。たぶん、一回だけ起これば、あとは同じような才能は、その繰り返しの一部として記録されてしまうのだろう。だから、「不思議なことに一度だけそのような時代があった」と見えるのだろう。

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