心理療法ファイル-自分自身をよりよく理解するための方法

心理療法ファイル-自分自身をよりよく理解するための方法

(1)あなたは自分を理解することが必要です

私たちは皆、たった一度の人生を生きて、私たちに起こったことを経験しています。いまも経験しつつあります。

そして私たちが自分自身や他人を見る方法には各人独自の感覚や思考があるのではないでしょうか。

物事をどのように考えるか、感じるかは、私たちにとって、独自のものであり、たとえて言えば、独自の色眼鏡を通して、世界や人生を見ているようなものではないでしょうか。

桜の木があることとか、時々雨が降ることとか、物事がどのように存在して、私たちはどのように人生を歩むかは、それぞれの人の人生観で見てみれば、明白で、当たり前のように思えるでしょう。

理不尽なことも、幸運なこともあります。しかしそれはそれでこの世界と人生と自分はそのようなものだと考えるようになります。

あるいは、それ以外は考えられなくなっていると言ってもよいかもしれません。

ところが、時には、このような、私たちが暗黙の裡に当然としている世界や自分についての理解や行動の仕方が、私たちのかかえる問題の原因となることもあります。

5歳の時に世界と人生から学んだ事柄が、40歳になっても有効なのか?訂正が必要なのか?

困難を解決するために、私たちは自分の行動や考え方や感じ方が、実はものごとや人生を悪化させていることを学ぶ必要があるかもしれません。学べば、新しい考え方や行動を考え出して実行することができます。

ここでは、『自分の思考・感情・行動についての考察』を提案します。

当然のことと思っていることが、実はあなたの独自の感覚かもしれないのです。そしてそれが人生の困難を作り出しているかもしれません。

自分の思考・感情のパターンを認識することは、人生でより多くのコントロールと幸せを得るための学習の第一歩です。

人生早期に身についたテンプレートをずっと使い続ける人もいます。それで成功する人もいます。しかしそうではない人もいます。ではどうすればよいか。

(2)自分を理解するためには記録・日記が役に立ちます

あなたの気分と行動を日記に書くことが役に立つでしょう。

文字にして書くのがよいと思いますが、スマホを携帯しているなら、言葉を録音しておいてもよいし、音声を活字に変換しておいてもよいでしょう。

症状、気分の悪さ、望まない考えや行動は、それらがいつ発生し、何がそれらを引き起こすかに気づくように、ここで学びましょう。

そうすれば、私たちはよりよく自分を理解し、自分を制御することができるようになります。

あなたが抱えている特定の症状または問題を把握するために、日記をつけ始めましょう。

日記は「特定の気分、症状または行動」に焦点を当てましょう。

可能であれば毎日書いて、毎日読み返しましょう。次の手順で記録してみます:

1.問題が起こる前の自分自身や他人について、つまり周囲の世界と自分について、あなたはどう感じていたか。思い出して書いておきましょう。

2.問題が発生したとき、同時に発生したと思われる外部の出来事は何がありましたか。また、あなたの頭の中でどのような考えやイメージが発生しましたか。これを書き留めておきましょう。

3.問題が始まったあとで、あなたが経験した思考、イメージ、または感情にはどんなことがあったでしょうか。時間経過とともに書いておきましょう。

どのような時に何をし、何を考え、何をしたかを記録することで、あなたは世界と自分を認識するようになり、最終的にはその時のあなたの行動や考え方をよりよくコントロールできるようになるでしょう。

コントロールできないなら、あなたは自動反応ロボットと同じです。同じ状況に出会えば、同じように反応し、思考・感情・行動のどれかまたは複数の分野で、困難に直面するでしょう。

恨みやうつ病、身体症状のような悪い結果はなるべく回避したいものです。

だから治したいのです。

日記をつけることは、物事に対しての、より悪い対処法を認識し、より良い対処法を学ぶ機会となります。

1~2週間の記録をつけたあとで、カウンセラーと一緒に、記録した内容について検討し、話し合い、確認することが役に立ちます。

私たちは夢を見ても、朝起きて、急速に忘れてしまいます。夢だけではなく、現実についても、私たちは忘れやすいのではないでしょうか。はっきり意識することなく行動しているのです。自動ロボットのように。

各人には、思考や感情、行動のパターンとして、「役に立たないのに、変えられない」ものがあることが普通です。

小さなころからの経験や習慣がそうしたパターンを作り、それは固定化してしまいます。

そのような環境に置かれたのはあなたの責任ではありませんし、そのような体験をしたのも、仕方のないことです。

いまさら嘆いても、なかったことにはできないでしょう。しかしそこから何かを学ぶことはできるのではないかとよく言われます。

経験はしたけれども、その生かし方を学んでいないのです。

私たちにはそれぞれ、変えることは難しい考え方と行動方法がある。それは確かです。だから悩んでいます。

時間がたつと、それで当然だと思うようになる。そしてぼんやり生きることになる。

まずは自分にはどのような思考、感情、行動のパターンがあるのか、自分自身で把握することが大切です。そして因果関係を突き止めることが必要です。

例えば、長年の食習慣は、血液検査や体重の値として、現在の状態を作り出しています。肝臓の検査値や体重を変化させるためには、食習慣を変化させなければなりません。そのためには、まず食事日記をつけるのがよいでしょう。

あなたの精神についても同じです。

「いつ、どこで、どんなものを、どのくらいの量食べたのか」「日々体重は何キロあったのか」を記録するのと同じように、

「人生にはどんな出来事があったのか、その時あなたはどう考え、どう感じ、どう行動したのか」「その結果としていま、あなたはどのような状況に直面しているのか」

それを記録しましょう。食事日記と体重記録と同じです。

未来には、各自の腕に装着するブレスレットのような装置により、体温、脈拍、呼吸数などを知り、ベッドでは睡眠の状態が記録され、トイレでは排泄物を用いて数値が測定され記録される時代になるでしょう。洗面所の鏡に顔を映したときに、鏡の奥のカメラがあなたの状態を記録します。各種の自律神経系の計測装置と同時に音声や画像を記録することで、あなたの周囲に起こった出来事が記録され、同時にあなたの反応が記録されるようになるでしょう。ライフログを再生してチェックすることで、どのようなトラウマが現在の心の傷になっているのか、推定できることでしょう。

しかしその場合でも、自分の精神内界について、自分で観察して記録することは、人間の精神的成長に大きくかかわることだと思います。カメラが記録するのではなく、自分で自分の経験を記録することに意味があるのです。

以下のリストを読み、それらがあなたにどの程度まで当てはまると思うかを考えながら、日記を書くことにしましょう。

(テーマ1 悪循環)

「悪循環」は逃れることのできないものです。ある種の思考と行動の結果、どんなに努力しても、あるいは努力すればするだけ、状況はむしろ悪化するように見えます。この「悪循環」に陥らないように努力するのですが、実際はどんどん悪いことが現実化していきます。

「悪循環」の例

1. 他人を傷つけることへの恐怖の「悪循環」

他人を傷つけるのが怖い人は、自分の感情を隠し続け、努力しますが、そのような態度が結局、他人を傷つけてしまいます。

あるいはあなたには自分がしたいことや他人にしてほしいことがあるのですが、そのことを人に伝えると、嫌われるように思えて、我慢してしまいます。ところが、そのことがかえって、あなたが他人に嫌われる原因になってしまいます。

そのような悪循環が、今日は何かなかったでしょうか。記録しましょう。

2. 憂鬱な思考の「悪循環」

気分が落ち込んでいて、仕事をやり遂げることができないかもと思うとき、社会情勢が悪い、あの人は悪人だ、父親が悪い、母親課せ悪い、などと考えると、一時的に自分の責任は免除されますが、自分の無力感は増大します。結果として、抑うつを慰めようとしてなおさら抑うつ的にになります。

3. 他人を喜ばせようとする「悪循環」」

自分自身に自信が持てないとき、他人を怒こらせたくないとき、私たちは他人を喜ばせようとします。

その結果 、それは自分がしたことなのに、人に利用されたと怒り、憂鬱になったり、または罪悪感が生じることもあり、自分自身に対する不安が生まれます。つまりさらに自信がなくなります。

または時々私たちは自分が制御不能と感じることがあります。他人を喜ばせたいと思って、他人に翻弄されて、自分自身に対しての自信が失われます。

4.回避の「悪循環」

私たちは、人込みや狭苦しい場所などで不安が高くなったりします。そこで不安を回避するために、特定の場面を回避することがあります。そうすると不安は固定化して、いつまでも苦手が抜けなくなります。電車を回避している限り、電車は恐怖のままです。これも典型的な悪循環です。

5. 社会的孤立の「悪循環」

自分自身に自信が持てず、他人を怒らせていないかと不安になるため、他人が自分を退屈または愚かだと思うのではないかと心配し、人に目を向けたりできなくなり、他人からの友好的な態度に反応できなくなります。すると人々はあなたのことを無愛想だと見なすので、ますます孤立し、自分で自分を退屈で愚かだと思い込んでしまい、さらに自信がなくなります。

6. 低い自尊心の「悪循環」

私たちは自分を無価値であると感じ、自分が望むものを手に入れることができないと感じます。その理由は、(a) 自分は罰せられると信じている、(b) 他人に拒絶されたり見捨てられたりすると信じている、(c) 手に入れた良いものは必ずなくなったり、悪くなったりすると信じている、などがあります。

時々、私たちは弱い自分自身を処罰しなければならないように感じます。このことから、私たちは世界のすべてが絶望的であると感じ、自分には価値がなく世界から見捨てられていると感じ、自分の無価値感を確認し増大させるようなことになってしまう、「悪循環」を体験します。

(テーマ2 これしかないという思い込み)

たとえ私たちがその行動に完全に満足していない場合でも、私たちが想像できる他の方法よりはましなように見えるとき、私たちはしばしばそのように行動します。

場合によっては、「x を実行すると y が続く」のように、必ずしも当てはまらない接続を想定して、そこから逃れられなくなります。「x」を実行してはいけないと思い込みます。

私たちは、あたかもそれが可能な唯一の選択肢であるかのように行動します。

まるで洗脳されているかのようです。別の選択肢が可能であるということを忘れてしまいます。これしかないと思い込みます。

あなたは、「別の選択肢も可能であること」を忘れていませんか?それを認識することが、自分を変えるための第一歩です。

あなたは自分自身についての選択をしていますか。あなたはは次のように行動していませんか?

1.自分の感情を閉じ込めたままにしておく。それは他人に拒絶されたり、他人を傷つけたり、混乱を招いたりする危険性があります。それは自分が選択できることだということを忘れていませんか。

    2. 自分を甘やかして貪欲になっていませんか。自分自身を否定し、自分を罰して惨めに感じていませんか。それは自分が選択できることだということを忘れていませんか。

    3. 完璧になろうとして、落ち込んで怒りを感じていませんか。完璧にならないと、罪悪感を感じ、怒り、不満を感じませんか。完璧になる・ならないも、あなたの選択です。

    4. しなければならないなら、しないと選択する人もいます。あたかも、課題に直面したとき、私は憂鬱に服従するか、あるいは消極的に抵抗しなければならないかのようです(他人の願望、あるいは自分自身の願望さえも要求が厳しすぎると感じるので、物事を先延ばしにしたり、避けたりします)。

    5. してはいけないのであれば、そうします。それはあたかも私の存在の唯一の証拠が私の抵抗であるかのようです(他の人のルール、さらには自分自身のルールさえも制限が多すぎると感じるので、ルールを破り、私にとって有害なことをします)。

    6. 他の人が私に何かをすること、世話をすることなどを期待していない場合、私は不安になり、孤独になり、制御不能に感じます。

    7. 欲しいものを手に入れると、幼稚で罪悪感を感じます。欲しいものが手に入らないと、イライラし、怒り、落ち込んでしまいます。

    8. 私は物事(感情、計画)を完璧な秩序に保つか、ひどい混乱を恐れています。

    他人とどのように関係するかについての選択。 

    私は他人に対して次のように行動します:

    1. 誰かと関わっていて傷つきそうになるか、関わらずに責任を持ち続けて孤独のままになるかのどちらかです。

    2. 自分を貫いても誰も私を好きにならないか、それとも屈服して他人に軽蔑され、不快に感じ傷つくかのどちらかです。

    3. 私は野蛮人か殉教者のどちらかです(密かに相手を非難しています)。

    4. 

    (a) 他の人と一緒にいると、私は安全に至福に包まれるか、戦闘に巻き込まれるかのどちらかです。

    (b) 戦闘状態にある場合、私はいじめっ子か被害者のどちらかです。

    5. 私が他の人を見下しているか、彼らが私を見下していると感じているかのどちらかです。

    6. 

    (a) 私は、自分が尊敬する他者からの賞賛によって支えられているか、自分が暴露されていると感じているかのどちらかです。

    (b) 暴露されると、私は他人を軽蔑しているか、自分が軽蔑されていると感じます。

    7. 他人と関わっていて、巻き込まれ、乗っ取られ、窒息していると感じるか、安全で関与していないのに孤独で孤立していると感じるかのどちらかです。

    8. 私が気にかけている人と関わっているときは、私が屈服するか、彼らが屈服するかのどちらかです。

    9. 私が依存している人と関わっているときは、私が屈服するか、相手が屈服するかのどちらかになります。

    10. 女性として、他の人が望むことをするか、自分の権利のために立ち上がって拒否されるかのどちらかです。

    11. 男として、私は何の感情も持てないか、感情が混乱しているかのどちらかです。

    (テーマ3 障害 または言い訳)

    障害 または言い訳 とは、私たちが「より良い人生を送りたい、自分の行動を変えたい、でも…」と言うときに起こっていることです。

    場合によっては、これは私たちや家族が、若い頃に自分たちについてどう思っていたかによって引き起こされます。

    「彼女はいつも良い子でした」や「私たちの家族では、人生の大切な人たちから問題が起こることがあります。」多くの場合、変化に抵抗します。あるいは、私たちの変化が彼らにとって何を意味するかに対処できなくなり、変化をやめてしまいます。多くの場合、抵抗はより間接的なもので、私たちが回復し始めたときに親、夫、または妻が病気になったり落ち込んだりした場合です。

    他のケースでは、私たちは喜びや成功を避けるように「手配」したり、それらが来た場合には、憂鬱になったり、物事を台無しにしたりして、何らかの方法で代償を払わなければならないようです。多くの場合、これは私たちが子供の頃、物事がうまくいくと罪悪感を感じたり、幸運や成功をうらやましいと感じるようになったことが原因です。私たちは、家族の中でうまくいかなかった事柄に対して、自分では気づいていないかもしれませんが、不当に責任を感じるようになることもあります。この種のパターンがどのように自分の人生を妨げているのかを認識することは役に立ちます。そうすることで初めて、より良い人生への権利を受け入れ、それを主張し始めることができるからです。

    自分の人生がどれだけ幸せで充実していないかを実感すると、かなり落ち込んでしまうかもしれません。それは愚かなことや悪いことではなく、次のことを覚えておくことが重要です。

    1. 私たちがこれらのことをするのは、これが私たちが若い頃に最もうまく対処する方法を学んだからです。

    2. 私たちはそれらを認識することを学んでいるので、それをやり続ける必要はありません。 

    3. 自分の行動を変えることで、自分の行動をコントロールする方法だけでなく、他人の自分に対する態度を変える方法も学ぶことができます。

    4. 私たちが自分自身に望む変化に、他の人(たとえば、両親やパートナー)が抵抗しているように見えるかもしれませんが、

    困難で不安定な心の状態

    自分の行動や経験をコントロールし続けることが難しいと感じる人もいます。なぜなら、物事は時と して非常に難しく感じ、異なっているからです。それらをブランクオフし、他の人から感情的に 距離を感じる場合は、どちらを示すかを指定します。

    1. 自分や他人に対する気持ちが不安定になることがあります。一 つの心の状態から全く別の心の状態に切り替えることができます。

    2. いくつかの状態は、激しい、極端で制御できない感情を伴うことが あります。

    3. 他の状態は、感情的な空白、非現実的な感じ、または混乱を伴う ことがあります。

    4. いくつかの州は、自分自身に対して強い罪悪感や怒りを感じ、 自分自身を傷つけたいという気持ちを伴います。

    5. 他の州は、他の州が信用できない、私を失望させる、または 私を傷つけるという感覚を伴います。

    6. しかし、他の国々は、他人に対して不当に怒ったり、 傷つけたりすることを伴う。

    7. 時には、混乱した感情に対処する唯一の方法は、感情的に 他人から遠ざかることです。

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