アルツハイマー病のアミロイド仮説
アルツハイマーの論文にはこう記載されている。「大脳皮質全体に多数の小さな粟粒状の集積物が認められ、その原因は何か奇妙な物質が皮質に蓄積していることにある」。さらに「神経細胞内に特徴的な太さと独特な浸透性を有する1本または複数の線維構造がある」。正常な脳とは異なる点をふたつ、認めたのである。
Aβが溜まるメカニズムとアミロイド仮説
1980年代は「奇妙な蓄積物(今日で言う老人斑)」の正体を明らかにしようとする熱狂で幕を開けた。1984年には、病理学者のジョージ・グレンナー博士らが患者の脳髄膜血管に沈着した老人斑から40数個のアミノ酸からなるβシート構造のアミロイド線維、すなわちAβの単離に成功する。
そこから、研究は目まぐるしく進展した。Aβの「元」にあたる一回膜貫通型の前駆体タンパク質(APP)の遺伝子がクローニングされ、AβがAPPの膜貫通領域を含む部分から切り出されたものであることが判明した。つまり、疾患を引き起こす蓄積物の元となるAβの産生には、APPから切り離される必要があり、科学者たちはそのメカニズムの解明へと突き進んだ。
次のブレークスルーはAPPからAβを切り出す「はさみ」の役割を果たす酵素、「セクレターゼ」の解明であり、トロントの研究グループが家族性アルツハイマー病(FAD)の病因遺伝子を同定し、その変異箇所がAPPの「はさみ」であるγ–セクレターゼ複合体の触媒サブユニットをコードしていることを報告した。
時を前後して、γ–セクレターゼがAPPを切り出す位置によって40アミノ酸からなるAβ40と、C末端側に2アミノ酸分長いAβ42が生み出されること、Aβ42は極めて凝集しやすい性質を持つことが報告された。その後、FADの病因として見つかっていた多くのAPP遺伝子変異は、Aβ42の産生を増加させることが明らかになり、原因と結果が繋がっていった。
Aβが凝集しやすいAPP遺伝子変異とγ-セクレターゼの遺伝子変異が見つかったという事実は、Aβ42を核としたフィブリル形成、ピログルタミル化などによるAβの凝集と過剰な蓄積がアルツハイマー病の原因であるという「アミロイド仮説」を遺伝学から裏づける強力な証拠と見なされた。ここに「Aβの蓄積がアルツハイマー病の根本理由である」という、今後の臨床や創薬研究の礎となる共通理解が確立したのである。
脳に溜まる他の因子 〜タウ〜
もうひとつ、アルツハイマー博士がアウグステ・データーの脳検体で言及していた「特徴的な線維構造(今日で言う神経原線維変化:NFT)」はどうだろうか。NFTはアルツハイマー病を含め脳神経変性がみられる認知症の代表的な病理所見であり、アルツハイマー病発症に関与している可能性が指摘されていた。
NFTは2本のフィラメントがらせん状により合わされた構造の集合体で、タウというタンパク質からなる7)。タウは主に神経軸索内の微小管に局在し、微小管依存性軸索輸送の調節、および神経突起伸長の制御などに関与している。生理活性はリン酸化で調節されるが、特にアルツハイマー病患者の脳から分離されたフィラメント構造は、“過剰”にリン酸化されたタウによって形成されていることが知られていた。
タウがアルツハイマー病を含む認知症の病因であることを示す一報は、家族性の前頭側頭型認知症の解析からもたらされた。タウ遺伝子の変異が、NFTを形成し行動異常とパーキンソン病を伴うこの疾患の病因として同定され、タウとNFT形成や神経細胞脱落がうまく結びついた。その後の研究から、Aβがリン酸化酵素の活性化を介しタウの過剰なリン酸化を促進する可能性など、アルツハイマー病の発症に関してAβとタウとの関連も示唆されている。
アルツハイマー博士の一症例報告から、人類はおよそ1世紀をかけて「アルツハイマー病患者の脳に溜まっていくモノの正体」を突き止めた。それはAβを主成分とした「老人斑」とタウを主成分とした「神経原線維変化」であり、その蓄積による神経細胞・神経突起の機能障害と神経細胞死をアルツハイマー病の発症機序とする「アミロイド仮説」は、今日も新たな知見を加えながら、アルツハイマー病研究と創薬を牽引し続けている。