経験が記憶を書き換える?後知恵バイアスという認知の偏り
後知恵バイアスとは?
人の判断力は、問題の本質とは関係のない情報を見聞きすることで偏った考えや先入観が生まれて、それに左右されてしまう傾向があります。その合理的ではない判断を招いてしまう認知の偏りのことを、心理学では認知のバイアスと呼んでいます。
後知恵バイアス(Hindsight bias)とは、何か出来事が起きたあとに「自分は最初からわかっていた」と、初めから結果を予測していたかのように記憶を書き換えてしまう認知の偏りのことで、人が陥りやすいバイアスのひとつです。
後知恵バイアスの研究事例
後知恵バイアスの研究で代表的なものに、アメリカの心理学者バルーフ・フィッシュホフとラッシュ・ベイスが、1975年に発表した調査があります。当時アメリカ大統領であったリチャード・ニクソンの1972年の中国・ソ連外交に対して、学生たちに事前にアンケート調査を行ったのです。初めに15項目の「今回の外交において、起こるだろうと予想される項目」を提示して、それらが実際に起こる確率を推定してもらいました。ちなみに15の中には以下のような項目が含まれていました。
ニクソン大統領は、北京訪問時に一度は毛沢東に会うだろう
ニクソン大統領は中国の代表に対して、「アメリカは中国に常設の外交使節団を設置すること」を約束するだろう
ニクソン大統領は、ソビエト連邦の代表との会談を通じて、アメリカとソビエト連邦の共同宇宙開発計画に同意するだろう
「1」の、ニクソン大統領と毛沢東主席の対面は実現しました。ニクソン大統領初の中華人民共和国への訪問は、第二次世界大戦後の米中の対立を和解へと転じさせた、驚くべきニュースとして各国で報道されたのです。
この調査には続きがあります。フィッシュホフとベイスは、ニクソン大統領の帰国後、再び同じ被験者たちを集めて、自分たちが推定した15項目それぞれの確率を思い出してもらうという調査を実施したのです。すると多くの学生たちが、実際に起きたことに対しては自分の確率を多めに見積もり、実際には起きなかったことに対しては、「自分は起こりそうもないと思っていた」と、記憶が書き換えられていることがわかりました。たとえば「1」に対しては、40%と推定した人が「自分は60%だと予測していた」と回答したのです。結果に対してフィッシュホフとベイスは、ニクソン大統領帰国後の大きな報道を見たことで、被験者たちの中に後知恵バイアスが働いたのではないかと考察しました。
後知恵バイアスがかかると、同じ写真の評価も変わる
後知恵バイアスについて、日本でも興味深い研究が行われています。大阪市立大学大学院文学研究科の山 祐嗣教授と、しんゆう法律事務所の弁護士との共同研究による「裁判での証言のための後知恵バイアスの検証」です。この研究のポイントは次の通りです。
後知恵バイアスとは、結果を知ったときに、「それを知る以前から予測できていた」と考えてしまう、記憶のエラーであると定義する
後知恵がいかに人々の判断にバイアスをもたらすのかを実際の事故にもとづいて実証した
結果の情報に因果関係のある情報を加えることで、知覚や認知がさらに変化することを実証した
記憶の書き換え理論を、「結果を知ることによって、結果を知らない場合にどのように捉えるのかが想像できなくなる」と修正した
実験は、ある川で起きた鉄砲水による水難事故をめぐる、刑事裁判での証拠となった河川の写真を用いて行われました。鉄砲水発生の予兆である川の濁りを、事前に認識できたかどうかが裁判の論点でした。しかし、事故の前に撮影された川の写真は、濁り方の評価が見る人によって分かれるようなものでした。そこで、心理学の専門家として弁護士から証言を依頼された山教授は学生を対象に、証言の根拠となる後知恵バイアスの実験を行ったのです。114人の学生を2つのグループに分けて河川の写真を見せて、水の濁り方について7段階での評価を求めました。
ひとつのグループに対しては「これは実際に鉄砲水が起きた川だ」という、因果関係のある情報を伝えてから写真を見せ、もうひとつのグループには、鉄砲水に関する情報を伝えることはしませんでした。
2つのグループそれぞれの水の濁り方に対する評価の平均値を比較したところ、鉄砲水が発生したという情報を事前に知らされていたグループのほうが、同じ写真に対して、より強い濁りを評価する傾向が出たのです。条件を変えた行った別の実験においてもまた、やはり同様の結果が得られたとのことでした。
この結果をふまえて山教授は、同じ写真を見たときに、「鉄砲水が起きた川だ」という結果を知ることで、水の濁りが強く見えてしまう、後知恵バイアスが働いたと考察しています。そしてこれらの結果は事故現場の目撃者に証言を求める際に、たとえば検事が事故に関する因果関係のある教示を行ってしまうと、それによって後知恵バイアスが働いてしまい、結果的に誘導尋問につながりかねない可能性があることも指摘しました。
まとめ
ある出来事に対して、その結果を知ることによって、それを知る以前の記憶が書き換えられてしまったり、結果を知らなかったらはたしてどのような捉え方をしたのだろうかと、もしもの仮定の結果が想像ができなくなってしまう後知恵バイアスについてまとめました。人の判断力は容易に影響を受けやすく、うつろいやすい性質をもっていることがわかりました。さまざまな認知のバイアスを知って、効果的にコントロールしていく意識が大切です。