例えば、以下の文章を参考に考えてみる。
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認知再構成法とは?
認知再構成法は、認知行動療法(CBT)の中核的な技法の一つであり、私たちの思考パターンをより適応的なものに変えることを目指します。特に、ネガティブな思考や歪んだ認知が感情や行動に与える影響に注目し、それらをより客観的で合理的なものへと修正することを促します。
認知再構成法の基礎
- 自動思考
認知再構成法の出発点は、私たちが日常的に行っている「自動思考」への気づきです。自動思考とは、ある状況に対して無意識に浮かんでくる考えや解釈のことです。これらの思考は、必ずしも客観的な事実を反映しているわけではなく、個人の過去の経験や信念に基づいて歪んでいることがあります。
- 認知の歪み
認知の歪みとは、現実を正確に反映していない思考パターンです。代表的なものとして、以下のものが挙げられます。
過度の一般化: 特定の出来事を根拠に、すべての状況に当てはまると思い込む(「一度失敗したから、これからも失敗する」)
全か無か: 状況を極端な二極化で捉える(「完璧にできないなら、やる意味がない」)
ラベル貼り: 自分や他者を固定的な言葉で判断する(「私はダメな人間だ」)
感情的推論: 感情が事実であるとみなす(「気分が落ち込んでいるから、私は価値がない」)
自己関係づけ: 外部の出来事を自分に関連付けてしまう(「雨が降ったのは、私が悪いことをしたからだ」)
- 認知再構成のプロセス
認知再構成法では、以下のプロセスを通じて、自動思考をより客観的なものへと修正していきます。
自動思考の特定: 状況とそれに伴う感情を特定し、その背後にある自動思考を明らかにする。
認知の歪みの評価: 自動思考の中に、どのような認知の歪みが含まれているのかを評価する。
代替的な思考の生成: 歪んだ自動思考を、より現実的で客観的な代替的な思考に置き換える。
証拠の評価: 代替的な思考と元の自動思考を比較し、それぞれの根拠となる証拠を評価する。
行動実験: 代替的な思考に基づいて行動を試み、その結果を評価する。
認知再構成法の臨床への応用
認知再構成法は、うつ病、不安障害、パニック障害、PTSDなど、様々な精神疾患の治療に効果を発揮します。具体的には、以下の効果が期待できます。
感情のコントロール: ネガティブな感情を軽減し、ポジティブな感情を増進させる。
行動の変化: 非適応的な行動パターンを修正し、より建設的な行動へと導く。
自己効力感の向上: 問題解決能力を高め、困難な状況に対処できる自信を与える。
認知再構成法の実践における注意点
患者との共感的関係構築: 患者との信頼関係を築き、安全な治療環境を提供することが重要です。
具体的な事例を用いた説明: 抽象的な概念ではなく、具体的な事例を用いて認知の歪みを説明することで、患者が理解しやすくなります。
患者自身の気づきを促す: 患者自身が自分の思考パターンに気づき、それを変えていくことができるように支援することが大切です。
反論ではなく、対話: 患者の思考を否定するのではなく、対話を通じてより客観的な視点へと導くことが重要です。
多様な技法の組み合わせ: 認知再構成法だけでなく、暴露療法、リラクゼーション訓練などの他の技法と組み合わせることで、治療効果を高めることができます。
まとめ
認知再構成法は、患者自身が自分の思考パターンを理解し、より健康的な生活を送るための強力なツールです。精神科医は、患者に寄り添いながら、認知再構成法を効果的に活用することで、患者のQOL向上に貢献することができます。
参考文献
Beck, A. T. (1976). Cognitive therapy and the emotional disorders. New York: International Universities Press.
Burns, D. D. (1980). Feeling good: The new mood therapy. New York: William Morrow.
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認知療法の中でも、認知再構成法は、認知機能の本体に治療効果を及ぼそうと目指しているように思われる。
しかし、どうだろうか。
真正の精神療法は、現状で、刺激xに対して、反応yを返すものとして精神機能を考えて、
y=f(x)
この機能がうまくいっていないので、f(x)をf'(x)に置き換えることである。これは広い意味で再教育になるので時間がかかる。ロジャースや精神分析学派はこうしたことを目指している。
しかし現状で、アメリカの医療保険の支払い方針としては、おおむね16週間程度でHAM-Dの有意な改善がみられる治療法には支払いをするということなので、数年かかるという見通しの精神療法は生き残ることができない。
そこで、f(x)をf'(x)に置き換えることは諦めて、
y=g(f(x))
y=f(x)+g(x)
などで、済ませようとする。
f(x)そのものに変更は加えず、f(x)から出力されたものに、少しだけ調整を加える。
たとえば、絶望的だと感じたら、その時、その思考は全か無かになっていないか、チェックするなど。
例えば、打撃フォームとか投球フォームの訂正なども、根本には手を付けず、分かりやすくて容易に訂正可能な、しかし容易に元に戻るような指導をする。野球の指導者というものはそのようなものである。
二階建ての家で言えば、一階が変形していて、それを前提として、それに合わせて成長した結果、二階も変形している。そこに地震が来たりすると、被害が大きくなる。本当は根本的な改装が必要なのに、とりあえず間に合わせる。すぐに効果が出るような対策だけをする。
上の文章に出てくる、
・自動思考の特定
・認知の歪みの評価
・代替的な思考の生成
といった項目は、実際に、ニューロンネットワークの改変に役立っているのだろうか。あるいは、f(x)はそのままで、結果について、ダメ出しをするという程度の手当てなのだろうか。
多分後者だろうと思われる。
重病でないなら、現実適応を少しだけ改善させてやれば好循環が始まることもある。だいたいはこうした問題解決技法を用いていることが多い。それは本来の意味での精神療法とは異なるもので、適応改善策といった程度のものである。ジョブトレーナーとか、それくらい現実的で具体的なものだ。精神の深層には届いていない。あるいは、ニューロンネットワークの改変には役立っていないと思う。
医療保険会社の言い分ももっともだし、多分、本格的な精神療法は自己負担にならざるを得ないと思うが、しかしだからと言って、医療保険会社の指定するものを有効な精神療法であると考えるのは間違いに近いのではないかと感じている。
例えとして正しいのかどうか自信はないが、野球で、ピッチャーの癖から、球種を読み取る流儀があり、それは早く成果が出るけれども、それでバッティングが改善されたとは言わないと思う。
アサーショントレーニングとか、アンガーマネージメントとか、こんな感じに近いかと思うけれども、どうだろうか。
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という具合に考えたのだけれども、そうでもない部分もあって、適切な、実行可能な、現実的なアドバイスが効果的という場合も少なからずある。
たとえば、小学生が親戚の家の庭で石ころをバットで打っていたら、通りかかった近所の年長の少年が、その少年は当然専門のコーチではないけれども、その小学生にとってはとてもいいアドバイスをくれた。そのことがきっかけで、少年は小学校ではクラスの4番打者になって長打をたくさん打った。そのことが少年の肉体的・精神的発達に割合大きな影響を及ぼした。そのような例もある。
現実適応を改善することはやはり重要な影響を与える。それが大事だというか、それも大事だというか、意見がある。しかし現実的に、当面は、短期的には、それしかできない。そしてそれが十分によい効果を上げることも経験している。
だから、辛口のことを言わなくても、短期精神療法は、それはそれでよいことなのだ。
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二階建てのたとえで言うと、うまくいいる場合は上図。
思春期前までは良かったが、そのあとでうまくいかない、という場合は、上図。
これは、二階部分だけを手入れして、たとえば、こうなる。
こういうのは、現実的で簡単な問題解決にあたると思う。
次は、思春期以前に問題があり、一階部分がうまくいっていない、そして、その上に二階部分が成長して、何とか辻島を合わせようとしている。2階の屋根が水平になるように工夫している。
この場合に、一階部分に手を付けないで、何とかなるものだろうか。これはこれで、環境がよければ、問題はないだろうけれども、環境が悪くなると、問題が起こりやすい。
間に合わせで修復するとすれば、上図のようになる。しかしこれでいいはずはない。
完全な人間などいないのだから、ある程度の問題は我慢しながら、生きてゆくしかないのだから、それでいいとも言えるのではあるが。
いっそのこと、次のようにして立ててしまえば、問題は解決するのであるが、そんな風にできるかどうか。
それは外面は整頓できるけれども、内面はそのままだ。自台風には強いかもしれないが、地震が来れば、外側の枠はそのままで、中だけが崩れることにもなるだろう。
精神内界をこのように単純化していいものではないけれども。また、外側からの影響に「びくともしない構造」にすればそれでよいのかどうかも、大いに問題である。
例えば、ある種の洗脳、宗教的・イデオロギー的な精神改造、企業戦士を作る自己啓発。自己啓発という呼び名がまた不思議である。あくまで、自分の責任で、内発的に啓蒙する、という語感を選んでいる。Self-improvement というが、だれが責任を取るのだろう。あらかじめ責任逃れをしていて、他者の意図は関係していないと宣言している。催眠術は良くないが自己催眠ならいいだろうとかの話と似ている。
とりあえず、目前にある困難を生き延びるために必要な手段として、問題解決を考えるのだが、そこにつけ込んで、何か余計なものを装備させられていないか、気にしないといけない。