山本義隆著『重力と力学的世界 古典としての古典力学』
まえがき
古典力学と古典重力論にもとづく天体力学は,たしかに,西欧近代科学の中で最も成功したものであろう.それは,地球と太陽系の秩序をほぼ完全に説明することによって,人間の自然観,ひいては世界観の根底的な転換をもたらした.また,その後の科学の発展も,その転換を抜きにしては語りえない.
しかし,ニュートンが〈自然哲学の数学的諸原理〉と称した「ニュートンの力学」が,現に在る「ニュートン力学」として了解され認知されるに至ったのは,フランス啓蒙主義によるその全面的な捉え直しに負っている.とくに著しいのは,〈重力〉概念にたいする態度の転換であった.というのも,〈重力〉は,機械論的な力学理論には馴染まないからだ.
片方の足を中世社会においていたケプラーが魂や霊の観念を中立ちにして構想した天体間の〈重力〉を,たしかにニュートンは,見事な数学的理論に昇華させることに成功した.しかし他方では,すでに近代人になっていた機械論者のガリレイやデカルト,そしてその後継者たち,あるいはライプニッツは,その〈重力〉をアリストテレス主義への復帰だとして受け容れようとはしなかった.
つまるところニュートンにとって,〈重力〉は宇宙に遍在する神の支配と摂理の顕現であり,〈自然哲学〉は神学に包摂されてはじめて完結しえたのである.換言すれば,ニュートンの〈自然哲学〉において〈数学的原理〉はその一部にすぎず,いわば〈神学的原理〉に基礎づけられるべきものであり,それゆえ,〈重力〉は現在のわたくしたちが考えるものとはまったく別の関係性のなかではじめて意味を持つ概念であった.
フランス啓蒙主義は,デカルト機械論との相剋の過程で,〈重力〉を別個の関係性のなかに置くことによって力学を一人立ちさせえた.つまり,〈数学的原理〉が独立させられたのである.それは,ダランベールとラグランジュによる力学の汎用化とラプラスによる太陽系の安定の力学的証明という,科学における未曾有の勝利をとおしてなしとげられたのだが,その勝利は,〈重力〉を単なる関係概念・関数概念として操作主義的に位置づけることによって可能となったのだ.
この〈重力〉をめぐる関係性の転換は,科学の意味を根底的に変化せしめた.科学の厳密化と相即的に,科学の真理性の限定ないし科学の守備範囲の縮小が推進されたのだ.その過程は,自然認識から多くの設問を切り捨てる過程でもあった.こうして――逆説的だが――普遍必然的で自己完結した自然認識としての力学という力学的自然観が形成されたといえる.
本書は,古典力学の形成とその外延の拡大の途上での紆余曲折,とりわけ〈重力〉をめぐる諸問題の設定と却下の諸相を再現することにより,力学的世界が何であり何をもたらしたのかを明らかにしようとしたものである.
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この流れで言えば、現代の量子力学でも、どこまでも数学を信じるという態度がある。確率的に存在するということの解釈をどうするかで意見が割れている。数式そのものは正しいと考えられている。
不思議なことに、数学はどこまでも正しいのだ。
もちろん、これまで様々な数学があって、その中から、自然を説明する数学が選ばれてきたのではあるが、しかしそれにしてはあまりに素直な数学である。
数学をどこまで信じるのだろう。
たとえば、宇宙規模の数学と、人間の日常生活程度の数学と、量子を扱う微細な数学は違うのだと言ってもよさそうな気もするが、一貫して数学は変わらない。解釈は異なるとしても。
それが不思議だ。
その説明としては、長い間の進化論的なプロセスによって、自然法則を転写してきた脳が、精密に自然法則に合致する数学を選択してきたと言えるのだろう。