通勤途中で、桜の木を見かけた。色づいた葉が地面に散り敷いている。
枝について存在していた時の様子と、地面に静止しているときの様子はかなり異なる。
思ったのだが、
これが我々が世界を知覚している様子なのだ。
葉は木の枝についていて高さの要素があり、風に吹かれ、陽に当たっている。
その様子を人間が観察しようとすると、
葉は地面に落ちて、高さはゼロとなり、動かない。
自然に存在していた時の次元よりも低次元の存在様式で、
人間は葉を観察している。
どのくらいの高さに位置していたのか、知覚できない。
すべての葉は枝から落ちて、地面に位置している。
高さの要素は消えている。
枝にある葉と、地面に落ちた葉との違いと同じく、
現実に我々が観察する内容と、そのものの存在の仕方には違いがあると考えるのが自然だろう。
ヒトの脳の認識モードがそのようになっているのだから、仕方がない。
動物世界で見ると、たとえば嗅覚が優れている犬がいる。
聴覚が優れている生物もいる。
蝙蝠は自分で超音波を発して、その反射を知覚して世界を知る。
ミドリガメには色彩知覚細胞が4つある。ヒトの場合は色彩知覚は3つの細胞で処理している。
世界が3つの色でできているのではなく、ヒトの色覚細胞が3種類だから、光の三原色や色の三原色というようにに、3つあれば十分ということになる。ミドリガメなら4つなのだが、それでどうなるのかはよく分からない。
そもそも光を知覚するためには、波長と振幅の二つの要素を知覚すればよいだけのように思われるが、どうだろう。
いずれにしても、ヒトも感覚器の制限の範囲でしか世界を知覚することができない。また、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、それぞれの場合に応じて、世界を知覚することはできる。
原理的に考えて、どの知覚様式も完全ということはない。それぞれが独自に不完全である。
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多くの動物は四原色の色覚(四色型色覚)を持っています。蝶などの昆虫は紫外線を見ることができ、鳥類や爬虫類の多くはヒトよりも色を見分ける能力が高く、より鮮やかな色の世界を見ています。これらの動物が色を見分ける能力が高いのは、それぞれの動物の生活環境に関係していると考えられます。昼行性の動物はより多く色を見分けられた方が有利だったのです。
犬や猫など多くの哺乳類はニ原色の色覚(ニ色型色覚)しか持っていません。たとえば、犬は赤と緑を見分けることができません。そのため、緑色の芝生の上で赤色の花を見つけるのが苦手です。かつて哺乳類は夜行性だったため、色を見分けることよりも、暗いところで良く見える能力が必要でした。そこで色を感じる錐体細胞が2つになり、色は見分けられないが弱い光を感じることができる桿体細胞が発達しました。
哺乳類の中でも霊長類の旧世界ザル(狭鼻小目)は三原色の色覚(三色型色覚)を持っています。いまから数千年前に赤色光に反応する錐体細胞の一部が変化し、緑色光に反応する錐体細胞ができ、3つの赤色錐体・緑色錐体・青色錐体(注)を有するようになったと考えられています。色を見分ける能力が向上したのは、森林で暮らすようになり、木々の緑の葉、さざまなな色の花や木の実を見分ける必要があったからかもしれません。
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たとえばマゼンタという色に対応する単色光は存在しない
可視スペクトルの中にマゼンタの光が存在しないということは、マゼンタに対応する単色光(単一波長からなるの光)が存在しないということです。
マゼンタは単色光の赤色光と青色光を均等に混ぜたときにできる色です。マゼンタの光はヒトの網膜に存在する赤色光と青色光に反応する錐体細胞を刺激します。脳はその刺激を受け取るとマゼンタの色と認識します。
私たちが認識している色は眼に入る光の情報をもとに脳内で作り出しているものです。もともと光や物体には色はついていません。脳がものに色をつけているのです。色の正体は私たちが作り上げた概念にすぎません。私たちが見ている色とりどりの景色は私たちの脳内で作り出されているバーチャルな世界と言えます。単色光が存在しないマゼンタの色が存在することは何ら不思議なことではありません。
色は三種類の錐体細胞をそれぞれどの程度刺激するかによって決まるもので、単一波長の光の波長や振幅に関係しているのではない。