フラッシュバックはどうしようもない。
起こってしまったら仕方がない。
予防するにも、難しい。
フラッシュバックでなくても、自分の感情についても、
自分ではどうしようもない面がある。
内面のイライラや絶望を外側に出すかどうかは別にして、
その感情が内側で湧き上がることについては、もうどうしようもない。
イライラや不安が沸き上がることがないように生活場面をコントロールすることも限界がある。
そのようにして極端に生活を限定してしまうことも問題である。
ネガティブな感情やフラッシュバックを回避することが生活の目標になってしまう。
例えて言えば、頭の中で台風が起こるようなものだ。
台風が起こったら、それを消すことはできない。
通り過ぎるのをじっと待つしかない。
台風は大規模な自然現象であるが、
感情やフラッシュバック、さらに思い付きのレベルの思考まで、
脳の中の自然であって、人間がコントロールできることでもない。
始まったら終わるまで待つしかない。
朗らかな感情ならば、続いていても問題はないが、
不快な感情や思い出したくない体験のフラッシュバックは、
じっと待つしかないのである。
フラッシュバックはどのような仕組みで脳に記録されているのか、とても不思議だ。
映像、音声、触覚、匂い、他人の存在感、などを含むマルチメディアファイルになっているのであるが、いったい、脳のどの部分にどのような形で記録されているものだろうか。
多分、長時間の記録ではなく、ほぼ一瞬の記録だと思う。
夢とフラッシュバックの関係を考えてみると、夢は、いくつかのフラッシュバック的な要素が組み合わされたものであるような気がする。
その一瞬が、うつの人にとっては、死んだほうがましだというくらいの苦しみになる。
例えば、父親との昔の確執と考えると、大きなフラッシュバックがあるとする。
もちろん、マイナスの影響ばかりがあるわけではなくて、良い思い出も、良い影響もたくさんあったはずなのだが、
現在がうつ状態だと、ネガティブなフラッシュバックだけが連続して想起して、苦しめる。
そのことがたまうつ状態の継続原因になる。