大伴家持
📜 原文
「うらうらに 照れる春日に 雲雀(ひばり)あがり 情(こころ)悲しも 独りし思へば」
📖 読み
うらうらに てれるはるびに ひばりあがり
こころかなしも ひとりしおもへば
📘 現代語訳
春の日差しがのどかに照り輝く空に、雲雀が楽しげに舞い上がっている。
けれども、私は一人で物思いにふけっていると、なんとも悲しい気持ちになってしまう。
📝 解説
この歌は、春の明るく穏やかな風景と、心の寂しさという対照的な感情を詠んでいます。
- 「うらうらに」:のどかに、柔らかく
- 「照れる春日」:春の日差しが明るく照ること
- 「雲雀(ひばり)」:空高く舞い上がってさえずる鳥
- 「情悲しも」:なんとも悲しいことよ
- 「独りし思へば」:ひとりで物思いにふけると
☀️ 春の日差しや空を舞う雲雀は生命の喜びを象徴していますが、孤独感を抱く詠み手の心情と対比されることで、より哀愁が深く感じられます。
🌿 この歌の魅力
- 明るい自然と心の寂しさのコントラストが美しい
- 春の情景が生き生きと描かれている
- 個人的な感情が普遍的な孤独感として共感を呼ぶ
万葉集には、こうした自然と人間の感情を繊細に結びつける名歌が多く見られます。
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📜 原文
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鶯鳴くも
📖 読み
はるののに かすみたなびき うらがなし このゆふかげに うぐひすなも
📘 *現代語訳
春の野に霞がたなびき、なんとなく物悲しい。この夕暮れ時に鶯が鳴いてる。
📝 解
この歌は、春の野にたなびく霞と、夕暮れに響く鶯の鳴き声を背景に、詠み手の漠然とした寂しさや物悲しさを表現してす。春の穏やかな景色と、心の内にある感傷的な感情が対比され、情緒豊かな情景が浮かび上がます。
「霞たなびき」:春の野に霞が横たわる様子を表現してます。「うら悲し」:明確な理由はないが、なんとなく悲しい、物寂しいという感情を示してます。「夕影」:夕暮れ時の薄暗い光景を指ます。「鶯なくも」:鶯が鳴いていることを述べてます。
この歌は、春の自然の美しさと、人間の繊細な感情を巧みに融合させた作品として評価されてます。
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📜 原文
「我が宿の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも」
📖 読み
わがやどの いささむらたけ ふくかぜの
おとのかそけき このゆうべかも
📘 現代語訳
私の家の小さな竹林に吹く風の音が、かすかに聞こえる。なんと物寂しいこの夕暮れだろうか。
📝 解説
この歌は、大伴家持が感じた静寂な夕暮れの風情を詠んだものです。
- 「我が宿の」:私の家の
- 「いささ群竹」:小さく生えた竹林(「いささ」は「小さい」「わずか」の意味)
- 「吹く風の」:風が吹いて
- 「音のかそけき」:その音がかすかに聞こえる
- 「この夕べかも」:この夕暮れはなんと物寂しいことだろう
風に揺れる竹の音が微かに聞こえる情景は、静けさと共に孤独感や侘しさを感じさせます。奈良時代の人々が自然の些細な音や風景に心を寄せ、感傷を抱く姿が伝わってきます。
🌿 この歌の魅力
- 静けさの中にある情感を繊細に表現している
- 竹林と風というシンプルな描写から、物寂しさや哀愁が感じられる
- 自然を通じて人の心情を映し出す、万葉集らしい一首
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以下も家持の春の歌
「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ」
- 現代語訳:
春の庭園では、紅色に美しく咲き誇る桃の花が輝き、その下の道に乙女が立っている。 - 解説:
桃の花が咲き乱れる春の庭で、花の美しさに劣らぬ若い女性の姿を描写しています。春の喜びと生命力が溢れる情景を詠んでいます。
「鶯の 鳴く山里の 春霞 たなびく雪は 消えなくぞ思ふ」
- 現代語訳:
うぐいすが鳴く山里に春霞がかかり、雪がまだ消えずに残っていることが気になる。 - 解説:
春と冬が交差する季節の移ろいを感じさせる一首。うぐいすの声と残雪の対比が、春の訪れのはかなさと期待感を表現しています。
「我が園に 梅の花散る 久かたの 天より雪の 流れ来るかも」
- 現代語訳:
私の庭に梅の花が散っている。まるで空から雪が舞い降りてくるかのようだ。 - 解説:
梅の花びらが舞う光景を雪にたとえ、春の優雅さと自然の美しさを巧みに詠んでいます。視覚的な美しさが際立つ歌です。
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漢詩における春
千里鶯鳴いて 緑紅に映ず (江南春望 杜牧)
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