思うに、何か情報や意見に接する場合、あるいはそれらを求める場合、いろいろな状態があると思う。
おおむねを上げれば、
(1)何の問題意識もなく、ただ何か気晴らしになることはないかと漂っている場合。動機を共有できていない。
(2)何か問題意識があって、解決を求めて探求している場合。動機がすでにある。
この二つがある。
(2)の場合は、
生活している中で、たとえば「多様性の尊重」というキーワードを考え直させるような事態に出会い、何かを考えたという場合、自分で検索し、人に話したりして、その先の内容にたどり着く。
だから動機の説明は要らない。動機はすでにある。
結論はどうであっても、読んでもらえるだろう。
(1)の場合、
そうではなくて、漫然とウェブサーフィンをしていたとか、あるいは、講演会をグループで企画して、来た先生が何か話し始めたという場合、話の最初に、そもそもの「動機づけ」「動機の共有」があればとてもいいんだと思う。
その先のことをどう考えるかというのは、立場によって、いろいろあるだろう。
しかしそこに問題がありそうだ、考えてみたほうがい、そう思う動機は、偶然持つ人もいるし、偶然持たない人もいる。偶然が訪れていない人に向けて、「自分はこんな経験をして、そこで考えたのですが」というような動機づけがあればいいと思う。
たとえば、「光の速度」は一定だとか、「質量はエネルギーに変換される」とか、我々が日常生活を生きている中では思いもつかないような、途方もない結論だけど、そしてそこに行きつくのはなかなか大変だけれども、その最初の発想、いろいろ勉強していたら、こんなことに行きついて、それをどうにかしないといけないと思って、結論が「光速一定」で、という話の流れなら、せめて、最初の動機として、どんな矛盾があったのか、どんな不都合があったのか、何を解決したいのか、そのあたりが共有できたらいいと思う。
そのあとは人によりさまざま。
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試験問題で、文章を読んで感想を書けと言うなら、それはそれで強い動機がある。
