1995年3月20日、地下鉄サリン事件。
1995年3月22日。山梨県上九一色村、オウム真理教への一斉捜索。
少し前の報道で、3/22の一斉捜索の前にも、オウムに対しての強制捜索は検討され、実行寸前だったという。しかしされは実現せず、地下鉄サリン事件が起こって、その2日後に一斉捜索になった。
これより前に検討されていた強制捜査が実現していれば、地下鉄サリン事件は起こらなかったかも知れないという記事だったような気がする。なぜ実現しなかったのか。
おおむね、事件の捜査と解決は、庶民が期待しているよりもずっと時間がかかる。それで仕方がないのだろうか。
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兵庫県知事にまつわる、いろいろな事柄も、庶民の期待よりは、捜査当局は慎重で時間をかけている。慎重にしている間に、どんどん新しい事態が発生する。
それぞれの関係者集団の内部で対立が浮き彫りになり、おのずと事情が明らかになったりする。強制的に自白させることなく、自分たちで暴露しあう。そういうものなのだろう。しかし時間はかかる。
プロレスで、反則レスラーが、審判の目を盗んで凶器を使った反則技を繰り出し、テレビの視聴者をハラハラさせることを連想する。
時間配分も計画され、放送時間内にきちんと終わるのだからプロレスは実害がないが、現実世界の出来事は実害がある。
兵庫県に比較すると、国会議員の裏金問題は、陣営の内部統制がうまくいっているのか、なかなか仲間割れには至らない。