「雪が降る」と「うれしい」の間には「脳」が存在している

雪があって、気温は0.5度とニュース。

「雪が降る」というきっかけがあって、「うれしい」とか「ゆううつ」とか結果が起こる。
人によって結果は違う。同じ人でも、場面によって、結果は違う。立場、場面、状況で結果が違う。

きっかけが「身内が亡くなりました」であれば、結果は「悲しい」とおおむね予想される。だから世間のあいさつは決まってくる。挨拶するほうもされる方も、こういう場面では、「悲しい」と前提して形式的に挨拶しておくものだとの常識を共有している。

ニュース画面では、「関東で雪」というきっかけに対して、結果は「交通が心配」というあたりが共通項だろう。
人によってはうれしくて写真撮影するだろう。そうでない人もいる。

「きっかけ」があって、感情、思考、行動などの「結果」になるが、雪が降ったというきっかけに対して、結果はさまざまである。そのひとの立場、場面、状況が違う。さらには価値観、感情の傾向、思考の傾向によって違う。

雪が降ったのでうれしくて写真撮影しましたという人の場合、雪が降ってうれしいというよりは、「うれしい気分が漠然と先行していて」、そこに気が降るというきっかけが生じたので、うれしくて写真撮影した、ということになりそうである。

「きっかけ」→「感情、思考、価値観などの内部状態」→「結果」

(きっかけと結果の間に「感情、思考、価値観などの内部状態」があるというよりは、
「感情、思考、価値観などの内部状態」が舞台であり、そこで、きっかけと結果が上演される感じ。)

「感情、思考、価値観などの内部状態」については、広告で考えを刷り込むこともできる。結果として、みんなが同じように、欲しいとか食べたいとか思ったりするようになり、購入するという結果に至る。

「雪が降る」と「うれしい」の間には「脳」が存在している。

「脳」を調整すれば、「雪が降る」というきっかけに対して、どのような結果を出力するかを調整できる。「雪が降って悲しくて仕方がない」という場合、「脳」の「感情、思考、価値観などの内部状態」を調整すれば、「雪が降って楽しい」にもできる。

脳の調整の仕方は色々あるが、自分で調整するのは少し難しい。マスコミ、ネット、友達、学校、職場などでの情報に接して、脳の調整をしていることが多い。「脳が調整されてしまっている」と表現したほうがいいのかもしれない。

脳を自分で調整するのは難しいのだけれども、理屈を理解すれば、そうでもない。

「雪が降って悲しくて仕方がない」と思ったとして、
「雪が降る」と「悲しい」とは、必然的に結びつくことではないことは理解できるので、
そこには「脳」の働きが介在していることが分かる。

今回は自分は「雪が降る」と「悲しい」を結び付けたとして、そこにはどのような事情があったのだろうと検討することができる。一番簡単な推定は、悲しい気分が先行して存在した、だろう。その傾向は、ここ最近数か月か、数週間か、数年か、生まれてからずっとか、ここ二、三日か、検証することができる。

そのように考えたほうが自分にとって利益になる何かの事情があるのではないかと考える。
例えば、もうこれ以上心が傷つかないように、自分を守る必要があって、そのように脳をセットしたのかもしれない。

理由があるんだなと理解する。その後、どうしたらよいか、考える。

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