Rational Emotive Behavior Therapy, REBT
非合理的信念を訂正すると、当たり前のように言う。
非合理的と判定者に判断されれば、訂正するのが当然で、
訂正すれば幸せになれるのだと無邪気に思うのだろうか。
非合理的信念にも、段階があると思う。
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非合理的と形容するのはよくないのではないか。
非適応的と表現すれば、もっと妥当なものになるだろう。
非合理的ならば訂正すべきだ
逆に言って、訂正すべきものは非合理的だと判断することになるのか
このあたりを考えると微妙に難しい問題はある
数学的な意味で間違っているのなら、それは訂正したほうがよい
そのレベルならば、分かりやすい
しかしもっと微妙なレベルもあるのであって、
それを非合理的と判定することにはやはり問題があると思う
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他人の抱く信念について、非合理的というような価値判断を含む言葉で判断するのはやはり抵抗がある。
「この環境には有効ではない」くらいのいい方ならば、マイルドだろう。
しかし一方で、抱いている信念が、あまりにけた外れに見当違いな場合には、訂正したほうがいいと思うこともあって、その場合は、本人が選択できるような形での表現をしてあげたらいいように思う。
非合理的だからダメ、合理的だからよい、と言うような判断は少し適切ではないように思う。