ゼレンスキーがトランプに何も反論できない理由

採録
ゼレンスキーは和平プロセスの第1段階で消える。第2段階で新しい大統領が選出され、ロシアに親和的な新大統領が第3段階の最終協定に署名する。第1段階の停戦合意の条件は、東部南部4州の放棄とNATO加盟断念であり、ロシア側の要求に沿った内容だ。無論、これはゼレンスキーもEUも承諾できない提案だが、トランプには呑ませる自信があるのだろう。トランプの自信の根拠は、おそらくゼレンスキー(と政権及び軍幹部)の汚職の情報把握であり、アメリカや西側諸国から渡った膨大な支援マネーが一体どこに回ったか暴露してやるぞという脅しをかけているものと想像される。トランプがゼレンスキーに寸毫のリスペクトもなく、ゼレンスキーがトランプに何も反論できないのはこの由縁だろう。

マスコミは今、「侵略したのはロシア」「悪いのはロシア」とヒステリックに絶叫し、3年間続けて来たロシア叩きのプロパガンダの音量を再び上げ、刷り込み報道に躍起になっている。ロシア憎悪の世論を再燃させ、トランプ主導の和平プロセスを潰すべく反撃に出て、西側の世論の扇動に狂奔している。3年間、ゼレンスキーを正当化し擁護し神聖化し、NATOの広報官として洗脳任務に徹し、「ロシアの敗北と権威主義陣営の崩壊」を折伏し続けてきた自分たちの立場とイデオロギーを守るためだ。マスコミは、22年2月にロシアが軍事侵攻したという一点のみ捉え、ロシアを侵略者として規定し、悪魔化した表象を固定づけたまま動かさない。ウクライナを正義として美化し絶対視した認識と態度のまま、問題を複眼的・多面的に考察しようとしない。ロシア側の論理を検討せず、戦争を客観的に検証しようとしない。

そもそも、戦争は22年2月に始まったものではなく、2014年の「マイダン革命」なるCIAが後押ししたカラー革命を契機にして内戦と紛争が始まっている。さらに言えば、CIAのウクライナでの佞悪なカラー革命工作は、2004年のオレンジ革命にまで起源を遡ることができる。そして背景には、ロシア(ゴルバチョフ)を騙し裏切って強引に推し進めた、NATOの一方的な東漸拡大の事実がある。幾度も指摘したが、このNATOの東漸拡大が開始されたとき、老ジョージ・ケナンは渾身の反対意見をニューヨークタイムズに寄稿し、「戦争になるぞ」と警告を発して政府の安保外交当局(自分の弟子たち)を批判した。

22年のロシアの侵攻は14年の紛争内戦からの延長であり、その決壊と爆発だった点は言うまでもない。

14年からの紛争内戦を停戦させる交渉と協定こそ、ミンスク合意と呼ばれる和平プロセスで、14年9月に第1次、15年2月に第2次の合意文書が調印されている。ミンスク合意の立役者はEU全体の指導者でもあったドイツ首相のメルケルで、関係首脳が徹夜する協議を指揮して苦心の合意を纏めた経緯があった。ミンスク合意の肝は、東部2州にロシア系住民の自治権を認める恒久法を制定することで、ドンバス2州をクリミア州と同じく自治共和国とする憲法改正を実施することだった。だが、15年に協定が成立したにもかかわらず、ウクライナは協定を遵守せず、東部ではロシア系勢力への攻撃や住民の被害が続き、業を煮やしたプーチンが21年から履行を求めて軍事圧力に出る。

21年12月から22年2月の経過を振り返ると、バイデン政権によるプーチンへの挑発が露骨で、CIAの衛星写真を公開しつつ、早く侵攻しろとプーチンを嗾けていた印象が強い。ミンスク合意をゼレンスキー政権に守らせようという態度はなく、ロシアとの間で妥協して欧州の平和安定を確保しようという意思は全くなかった。

バイデン政権において、ロシア軍侵攻はウェルカムであり、NATOが全面支援する通常兵器の戦争で確実に勝てるという計算だったのだろう。この機にプーチン体制を潰し、NATOの積年の悲願であるロシア連邦解体まで実現させようと目論んだのに違いない。

開戦してすぐの段階で、トルコが仲介に入って停戦交渉の動きがあった。このときテーブルに上がった和平の条件も、ウクライナのNATO非加盟や非ナチス化があり、東部2州の地位の問題も含まれていた。今回のトランプ和平と中身はほとんど同じだ。米英の干渉と妨害によってこの和平プロセスは潰される結果となったが、もしゼレンスキーがこの協議に応じて停戦を決断していれば、双方で14万人を超える戦死者はなく、民間人の犠牲もはるかに少なくて済んだ。米英の尻馬に乗って戦争を継続させたゼレンスキーの責任は重い。

日本国内も、バイデン政権とNATO・EUに足並みを揃えて、右から左まで主戦論一色で燃え上がり、トルコ仲介の和平協議で停戦せよと言う者は(マスコミでは)誰もいなかった。停戦するなと咆哮し、あくまで戦闘でロシア軍を叩きのめしてウクライナ領から追い出せと怒号し、軍事でロシアを屈服させよという声ばかりが横溢した。そこは国際法上はウクライナ領ではあるけれど、ロシア語を話すロシア系住民が多く住み、マイダン革命以来凄惨な迫害を受け、CIAが背後で操るネオナチ民兵によって民族浄化の暴力を受け続けてきた土地である。けれども、そのことをマスコミ論者は説明せず、その認識は広がらなかった。比喩を使って結論を言えば、この戦争は、微分的にはロシアがウクライナを侵略した戦争だが、積分的にはNATOがロシアを侵略した戦争であり、数次にわたるカラー革命を導火線として大戦争に発展したケースである。すなわち、ロシアにとっては防衛戦争だった。

ロシアのNATO(アメリカ)に対する防衛戦争であり、そして、3年の激戦と死闘の末に、遂にアメリカが撤退を決めて白旗を上げ、ロシアの要求を丸呑みして停戦協議に入った図に他ならない。
これまでのアメリカの戦争の負けパターンと同じで、国内で厭戦論が高まり、その民意が選挙に影響し、途中で戦線離脱して逃亡を決め込む幕となった。ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争と同じ負け戦の図式だ。

西側マスコミが依然として従来路線のままCIA工作機関の役割と任務を遂行していて、これは、トランプ新政権が未だCIA全体を掌握しきれていない内実の証左であり、CIAとトランプが鎬を削り合っている権力闘争の反映と言えるだろう。また、CIAがホワイトハウスから独立した(アメリカ帝国主義の)超然たる国家権力だという真実もよく納得できる。

タイトルとURLをコピーしました