ルイス・ブレーガー『フロイト 視野の暗点』

ルイス・ブレーガー『フロイト 視野の暗点』
から抜き書き

フロイトの虚構と神話

20世紀における偉大な人物フロイトを、著者(米国の現代精神分析研究所初代所長)が、多くの資料と新事実によって、フロイト自身がつくりあげた英雄的イメージである虚像にせまり、その背景を探る。フロイトの心の奥底にメスを入れ、フロイトを脱神話化した画期的な研究書であり、興味つきない伝記ともなっている。

フロイトの表情はたちどころに読み取ることができる。葉巻をくわえた聡明な白髪の天才で、髭は丁寧に手入れされており、仕立てのよいスーツと、あたかも人の心の奥底まで突き通すような眼力をもった精神分析家である。3頁の写真は今や誰もが知る六十歳代のフロイト像である。

しかしフロイトがこのイメージを作り上げる努カをしていたことは世に知られていない。それは長年にわたって彼が美化した私的伝説を統合したもので、彼の生涯像は一部真実であり、一部は虚構であって、事実と空想の入り混じったものである。

突き通すような眼差しも彼の学生時代の師であるエルンスト・ブリュッケとジャン-マルタン・シャルコーの二人から盗み取ったものである。

一八八五年までに医学部の学業をすべて終えたフロイトは二十八歳だったが、真に重要な研究を行う以前から、自分の生活の詳細を曖昧にすることに関心を抱いていた。

彼は婚約者のマルタ・べルナイスに「私は手紙、学術論文の抄録、自分の論文の原稿など、過去十四年間の記録すべてを破棄した……伝記作者たちを悩ませることになるが、彼らの仕事を楽にしてやろうという気持ちはない。『英雄の成り立ち』に関する彼らの意見は個々には正しいあろう、しかし私はすでにそれらが本筋からそれてゆくのを眺めているのが楽しみだ」と書き送っている。彼は自己分析の間の重要な手紙を破棄するために、一九〇七年から死ぬまでの間に何度も自分の論文を破棄している。

婚約者への手紙から、自分自身を有名にするはずの研究がなされる以前ですら、伝記作者による年代記にその生涯が載るであろうような英雄として、自らを思い描いていたことが明らかとなる。
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長じても彼は名声を求め、どの理論よりも勝れ、偉大な人物として自らの地位の安泰を保証するような理論を打ち立てようとした。この欲望は幼少期における英雄との同一化とその起源を一にする。貧困、失敗、人生早期の喪失体験の克服を願ったのである。新たな英雄としての自己の創造には自らのルーツの抹殺が必要であり、それゆえに彼は記録を抹消し、自分の歴史の多くを偽造したのである。

新たな英雄的自己を創造するに際し、フロイトは感嘆すべき自分の文学的才能を頼った。本と想像の世界に住んでいた幼い少年は、説得力のある隠喩と美辞麗句を用いて論を構築する感動すべき散文で自らの考えを表現しうる堂々たる名文家となった。

彼が最も力を注いだのは文筆活動であるが、演技に対しても多大の情熱を注ぎ込んだ。

彼の著作は全部で二十三巻に、そして手紙の数は膨大なもので二万通にも及ぶ。フロイトは精神分析活動の歴史のみならず、自分個人の歴史をも捏造した。彼はこれが非常に得意だった。

今日も多くの人たちが、彼の作り上げた文脈の中でその考えを支持したり攻撃したりすることにいそしんでいる。かくのごとく、彼の文筆力はこれら論争の用語を定義し続けているのである。

フロイトにより創りあげられた精神分析は、その一部を神経症患者の観察に、しかしその多くは三十代後半から四十代前半に至る間に行われた自己分析に依拠しており、それはべルリンの内科医であり近しい友人のヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙で打ち明けられたものである。

彼は自分自身の夢を用いて自己を分析した。その多くは自分自身最も重要なものとして『夢判断 The Interpretation of Dreams』に記録したものである。

彼の伝記を書いたほとんどの人たち―その他の偉大な人たち―は、自己分析を彼独特の英雄的な行為であると述べている。

フロイトが自分自身の心の暗黒面へと深く入り込み、彼の同時代の臆病な人たちがあえて目を向けなかった人間のこういった側面に向き合ったとして、彼らはフロイトを誠実で勇敢な探検家であると感じているのである。

言い伝えによれば、この内に向けての旅の間に、フロイトは自らの禁じられた欲求と出会い、それらを暴露し、結果としてヴィクトリア時代における性的偽善の仮面を剥ぎ、そしてかつエディプス・コンプレックスを発見―あるいは発明―し、それを即座に不変の法則へと祭り上げた。少年はすべて母親を渇望し、それが彼らの父親との競合的戦いへと導くのである。この状況における葛藤、恐れ、そして罪悪感は、彼自身と彼の患者も含め、成人の症状と不安に関する主たる説明概念となった。
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長じても彼は名声を求め、どの理論よりも勝れ、偉大な人物として自らの地位の安泰を保証するような理論を打ち立てようとした。この欲望は幼少期における英雄との同一化とその起源を一にする。貧困、失敗、人生早期の喪失体験の克服を願ったのである。新たな英雄としての自己の創造には自らのルーツの抹殺が必要であり、それゆえに彼は記録を抹消し、自分の歴史の多くを偽造したのである。

新たな英雄的自己を創造するに際し、フロイトは感嘆すべき自分の文学的才能を頼った。本と想像の世界に住んでいた幼い少年は、説得力のある隠喩と美辞麗句を用いて論を構築する感動すべき散文で自らの考えを表現しうる堂々たる名文家となった。

彼が最も力を注いだのは文筆活動であるが、演技に対しても多大の情熱を注ぎ込んだ。

彼の著作は全部で二十三巻に、そして手紙の数は膨大なもので二万通にも及ぶ。フロイトは精神分析活動の歴史のみならず、自分個人の歴史をも捏造した。彼はこれが非常に得意だった。

今日も多くの人たちが、彼の作り上げた文脈の中でその考えを支持したり攻撃したりすることにいそしんでいる。かくのごとく、彼の文筆力はこれら論争の用語を定義し続けているのである。

フロイトにより創りあげられた精神分析は、その一部を神経症患者の観察に、しかしその多くは三十代後半から四十代前半に至る間に行われた自己分析に依拠しており、それはべルリンの内科医であり近しい友人のヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙で打ち明けられたものである。

彼は自分自身の夢を用いて自己を分析した。その多くは自分自身最も重要なものとして『夢判断 The Interpretation of Dreams』に記録したものである。

彼の伝記を書いたほとんどの人たち―その他の偉大な人たち―は、自己分析を彼独特の英雄的な行為であると述べている。

フロイトが自分自身の心の暗黒面へと深く入り込み、彼の同時代の臆病な人たちがあえて目を向けなかった人間のこういった側面に向き合ったとして、彼らはフロイトを誠実で勇敢な探検家であると感じているのである。

言い伝えによれば、この内に向けての旅の間に、フロイトは自らの禁じられた欲求と出会い、それらを暴露し、結果としてヴィクトリア時代における性的偽善の仮面を剥ぎ、そしてかつエディプス・コンプレックスを発見―あるいは発明―し、それを即座に不変の法則へと祭り上げた。少年はすべて母親を渇望し、それが彼らの父親との競合的戦いへと導くのである。この状況における葛藤、恐れ、そして罪悪感は、彼自身と彼の患者も含め、成人の症状と不安に関する主たる説明概念となった。
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「ねずみ男」

分析の過程でフロイトは、鼠に関する徹底的な用語解説を展開した。鼠は賭け事が好きだった父親自身を表わしている(gamblerはドイツ語でSpielratteであり、それは文字どおりには「gambling rat」である)。

また鼠は、お金であり、またぺニスでもある。また鼠は、特に性的な意味合いをもつ梅毒など、病気をまん延させる不潔な動物であり、そして鼠は子どもたちである。というのは、エルンストは三人の姉と弟と妹を一人ずつもっており、その兄弟たちの幾人かは子どものころに、彼の性的なゲームに加わっていたからである。

そして最後に、鼠はこの患者自身である。というのは分析の重要なある時点で、エルンストは、彼が子守り女に噛みついたために、つまり汚らしい子鼠のように振る舞ったために、父親から厳しく罰せられたということを思い出したからである。

フロイトのこの発表をザルツブルク学会で聞いた聴衆は、ねずみ男の神経症の神秘を解き明かす彼の精神分析的解釈の使用の巧みさに畏敬の念を抱いた。フロイトが意味のないように見えるものから意味を見つけ出したという事実、患者の混乱した精神の産物に秩序をもたらすことができたというその事実は、きわめて感銘を与えるものであった。
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フロイトは服装や外観にたいへん気を遣ったが、アドラーは気にかけずに気ままだった。このような対比は考えを書いたり述べたりする際にも認められた。

議論を組み立てたり自分自身の目的に添って経緯を説明したりすることに生涯長けていたフロイトは、その技能をアドラーとの決裂に関する自分の観点を構成する際にも用いている。

さらに二人は自分の考えを表現するのに用いる語彙が非常に異なっていた。アドラーは「劣等感」とか「代償」とか「愛」とか「力」といったような日常語で書いたり話したりしたのに対し、フロイトは「リビドー的工ネルギー」とか「メタ心理学」とか「死の本能」といった術語を用い、それによって心理学的な観察を疑似生物学的な推量と結び付けて自身の理論に深淵で深みのある雰囲気を与えた。
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「フロイトは「リビドー的工ネルギー」とか「メタ心理学」とか「死の本能」といった術語を用い、それによって心理学的な観察を疑似生物学的な推量と結び付けて自身の理論に深淵で深みのある雰囲気を与えた。」
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文学に長けていて、人を動かす言葉の使い方に天才的な力を発揮したフロイトの特徴
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そうしたフロイトがいたからこそ現在も精神分析は存在し、過去の批判を乗り越えて今の学問がある
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フロイト理論はなぜこんなにも人々を惹きつけたのか
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