現実に存在しているからには理由があるのではないか

REBTでは非合理的信念を問題にして、訂正すればいいというのだが、
非合理的信念はあまりに広く存在しているような気がする。
そんなもの、どこにでもある。

現在の環境では非合理的とそれる信念であっても、それは歴史があり、複雑な事情があったのではないかと思うのだ。

現実に存在しているからには、非合理的で、間違っていて、非能率的であっても、理由がある場合もあると思う。

a(b+c)=ab+c というような種類の間違いは訂正したほうが、誰にとってもいいだろうけれども、非合理的信念の種類によっては、別の環境ならばよい信念である場合もあり、また、短期の利益と長期の利益とか、どの程度自己中心的でどの程度利他的であるかなど、考慮しなければならない側面もあるだろう。

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