精神分析は、論理の法則に従わない人間の行動を説明し、治療する方法として始まった。
なるほど、そうだ。
その点、REBTは、論理の法則に従わない人間を、あなたの信念は非合理的だから、考えを変えなさいと言ってしまうのだ。
論理の法則に従わないし、幸せにもなれず、損をするだけの人間も、自分からそのようになりたいと思ったわけでもなく、何か深い理由があるのではないかと思って、無意識などを想定してみたのが、精神分析の初めのあたりだろう。
非合理的だけれども、その淵源をたどれば、理解可能な部分もあるのではないかと、「了解不可能」から「了解可能」に変化させる、そのような了解拡張の試みが、精神科学にはあったのである。それも感嘆すべきことだ。
それなのに、REBTでは、すっきり、それは非合理的信念ですと言い切ってしまうので、なんとも意外な感じもあり、考えさせるもので、時間をおいて学びなおしてみると、当方の変化のせいもあるのか、今回、改めて納得できる部分、学ぶ部分も多くあった。
REBT自体は、とてもやる気になれないが、参考にはなったし、自分の現在の精神の状態を測定することに役だったと思う。合理性を信じてよいのだと思いなおした。
現代物理学は、相対性理論も、量子力学も、優れたものだろうけれども、ニュートン力学の、あの美しさと、直観に厳密に一致する快感は、捨てがたい。REBTはニュートン力学的明確さがあり、ときどき振り返って、心を整理するには役立つと思う。
精神分析(初期フロイト)、ロジャース、REBTと、よい三角形である。