瞑想療法メモ 66 「高める」「取り除く」
●「高める」という表現がたくさん登場する。しかし考えてみれば、瞑想は、心の本来の働きを妨げているものを取り除くイメージではないか。邪魔しているものを取り除くだけである。結果的には高めていると言ってもいいのかもしれないが、向上するとかとは違うように思う。
生まれつき備わっているものが、年を経て、順次、体内の変化も、体外の環境変化も、対人関係も、体験し、咀嚼していけばよいわけで、そのプロセスに優劣をつけたりするのも愚かしいことではないか。
ある人が何も学ばずに、自分勝手に苦しんで死んでしまったとして、それはその人に割り当てられた人生だろうとも思うのである。それは悲しいことだし哀れなことであるが、恐る恐るアドバイスのようなことができるだけであって、それ以上に強力に説得するとか教育するとか、できないようにも思う。
教育の場面ではいろいろな子供がいるだろうが、教育者の思った通りにはいかないし、教育者が思うところの「その子なりの、本来の自分」などは怪しいものだ。怪しいものではないかと反省してみたほうがいい。
愚かなものが未熟なものを教えるなど、到底無理だと思う。
●高めるなどという言葉はやめて、なるべく邪魔を取り除く、程度の表現でよい。
●覚醒するなどいう表現も、優越意識とか差別意識とかが丸出しで、とも気持ちが悪い。
●個人的に悟ったら、静かに沈黙していればよいだけだ。誰にも知られずに利他的に生きていればそれで十分である。どうして何かを発現する必要などあるだろうか。それは自分の純粋さを汚すだけだ。