実存メモ01
人は誰しも、「究極的な関心事(ultimate concerns)」と呼ばれる普遍的で避けがたい問題に向き合わなければならない。これには、死、自由、孤独、そして意味が含まれる。
究極的な関心事(The Ultimate Concerns)
選択(Choice)
責任(Responsibility)
死(Mortality)
人生の目的(Purpose in Life)
という紹介もある。
ヤーロムのあげる、究極的な関心事(ultimate concerns)
自由(Freedom) 人生には本来の意味や目的がなく、自分で決める責任がある
孤独(Isolation) 私たちは本質的に孤独な存在であり、それを避けることはできない
意味(Meaning) 人生の意味は与えられるものではなく、自ら見つけるもの
死(Death) 死は避けられず、それをどう受け止めるかが人生の在り方に影響する
セラピストの側にとっては、これらの問題を「症状」として捉え、薬を処方したり、マニュアル化されたエクササイズを課したりするほうが楽である場合も多い。
診断名のつく「症状」の背後には、実は「実存的な危機(existential crisis)」が隠されていることがある。
最終的には死んでしまうこと、そして死んだ後には意識は残らず、霊魂の不滅は認められないこと、したがって、孤独であり、真実には束縛がないので自由でもあり、自分で選んだことであれば責任が生じ、しかし誰にも共通の人生の目的もなく、人生の意味も、各人の経験や思考に任せられている。
こう考えてみると、結局、死んでしまえば何も残らないことに由来すると思われる。
中には、生前の功績が人々を幸せにするとか、死後にも残る功績があれば安心できるとかの場合もあるだろうが、誰にも可能なわけでもない。可能であるとしても、少しの間であり、やがて忘れられる。生前に交流した人もやがて全員死んでしまう。人々の記憶に残ることもなくやがて忘れられる。
むしろ、完全に冷たい宇宙が、慰めになるとの考えもある。生きていれば、様々な負の経験もある。忘れてしまいたいこともある。この冷たい宇宙はすべてを無に帰してくれる。それが救いであると考える。
いろいろな宗教は、死後の霊魂の永続を説き、天国や極楽浄土を説く。それが人々にとっては救いになるのだが、天国にも極楽浄土にも、入場の条件があり、現世での心掛けが求められる。真剣に信仰することとか念仏を唱えるとかの条件である。このあたりは、あまりに苦行だと受け入れられないし、あまりに楽業だと信用されない。何にしても確証はない。このような話になるのも、元を返せば、死んで無に帰することがあまりにつらく、受け入れがたいからだ。
しかし現代の哲学であれば、また現代の医療であれば、人間は死んで無に帰るという現実から始めるしかないし、そうなれば、簡単な救いはない。
宗教は、それぞれの立場で、好きな宗教を信じればよいではないかとの考えもあるのだろうが、一つの考え方としては、比較して違いがあるとすれば、どちらが正しいかと議論になることも納得できる。そしてそれについて考えてみても、明確な解決は変えられないだろう。むしろ、共通点を見出して、おおむね共通すること、また、考えは多少違うけれども、目指しているところは同じようなものではないかとの考え方もあり、それは説得力がある。山に登る道順に違いはあるが、同じ山頂を目指しているのだと納得する。
宗教的多元主義(religious pluralism)
宗教は山登りと同様、目指す目的地(頂上)は皆同じで、そこへたどり着く道が違うだけだ
◇ 宗教的多元主義とは?
宗教的多元主義とは、複数の宗教がそれぞれ独自の道を示しながらも、究極的な真理や救済という共通の目的に向かっているとする立場です。宗教間の違いを認めつつ、それぞれが等しく価値ある真理に到達しうると考えます。
◇ 代表的な論者
ジョン・ヒック(John Hick, 1922–2012)
ヒックは、宗教は文化や歴史に応じた異なる表現であるものの、最終的には「究極実在(the Real)」に向かっていると主張しました。彼の「コペルニクス的転回」理論では、各宗教がそれぞれの立場から究極実在を解釈していると説明します。
◇ 他の立場との比較
排他主義(exclusivism):
ある特定の宗教だけが唯一の真理であり、他の宗教は誤りだとする考え方。例:キリスト教原理主義など。
包括主義(inclusivism):
自分の宗教が最も完全な真理を示しているが、他宗教にも部分的な真理が含まれるとする立場。例:カトリック教会の「無名のキリスト者」概念。
◇ 山登りの比喩と多元主義
「山の頂上は一つだが、そこへ至る道は多様である」という比喩は、まさに宗教的多元主義の核心を象徴しています。この考え方は宗教間対話や相互理解を促進し、特定の宗教のみを絶対視しない姿勢を支持します。
📚 ジョン・ヒック(John Hick, 1922–2012)の宗教的多元主義の立場
ジョン・ヒックは20世紀を代表するイギリスの宗教哲学者で、特に宗教的多元主義(religious pluralism)の提唱者として知られています。彼はキリスト教神学から出発しつつ、さまざまな宗教がそれぞれの形で「究極的な実在」に向かっていると主張しました。
① ジョン・ヒックの宗教理解の中心概念
✅ 「究極実在(The Real)」
- 意味:人間の認識を超えた、すべての宗教が目指す究極的な存在。
- 特徴:
- 超越的(人間の理解を超えている)
- 各宗教が異なる形で経験・解釈する対象
- 無名であり、いかなる宗教的言語でも完全に表現できない
💡 例:
仏教では「空」、キリスト教では「神」、イスラム教では「アッラー」など、異なる宗教が示す概念はすべて究極実在の異なる表現とされます。
② 「コペルニクス的転回」
- 背景:従来のキリスト教神学では、「キリスト中心主義(Christocentrism)」が主流で、イエス・キリストを通じてのみ救済があると考えられてきました。
- 転回の内容:「宗教の中心は特定の宗教(例:キリスト教)ではなく、究極実在そのものである」と考える視点の転換。
- 太陽を宇宙の中心としたコペルニクスの地動説になぞらえている。
- すべての宗教は「究極実在」を中心に回っており、特定の宗教だけを特別視しない。
💡 イメージ:
「キリスト教を太陽とする宗教観(旧モデル)」から、「究極実在を太陽とする多元的な宗教観(新モデル)」への転換。
③ 宗教の多様性の説明
- 宗教の多様性は、究極実在をそれぞれの文化や歴史が異なる形で解釈した結果だと考えます。
- 比喩:「山の頂上は一つだが、そこへ至る道は多様である」
- 頂上=究極実在
- 登山道=各宗教
💡 ポイント:
他の宗教も、自分の宗教と同じくらい正当で尊重すべき道であるという立場を取ります。
④ ヒックの宗教的多元主義の意義
- 宗教間対話の促進
→ 互いに絶対視せず、共通の真理を探る姿勢を重視。 - 宗教的寛容の基盤
→ 文化や伝統を尊重しつつ、他宗教を否定しない態度。 - 救済の普遍性
→ すべての宗教が人類を変容させ、救済に導く道を持つ。
⑤ ヒックの立場への批判
- 宗教の固有性の軽視
→ 各宗教が持つ独自の教義や信仰の特異性を過度に一般化しているという批判。 - 究極実在の説明不足
→ 究極実在は人間の認識を超えているため、具体性を欠くと指摘される。 - 宗教的排他主義者からの反発
→ 「キリスト教だけが唯一の救済だ」という排他主義とは対立。
🔍 まとめ
- 究極実在(The Real):すべての宗教が指し示す普遍的な存在。
- コペルニクス的転回:キリスト教中心から究極実在中心への視点の変換。
- 多元主義の核心:「宗教は異なるが、目指す真理は一つ」という考え方。
ジョン・ヒックの思想は、現代の多文化・多宗教社会において、宗教的対話と理解を促進する重要な理論となっています。
ジョン・ヒックの立場であれば、死後の無に直面することは、やや、緩和されるのではないかと思われる。