高校野球。いま放映されている。
いま世間ではトランプ大統領や兵庫県問題で知られたように、制度や法律の抜け道を利用して生きている人のことが問題になっている。
高校球児は、「ルールに書いていないから、こうやってもいいはずだ」などとは言わない。
他人の見ていないところでずるいことをして勝つのも方法だと許されたりはしない。
球児としていろいろ思うこともあるだろうが、ルールブック以上に、よく言えば、現場の教育力があり、悪く言えば、暴力的支配があるのだ。
ずるい道はふさがれている。それが社会というものだと教育しているとも見える。
正々堂々と勝負して、勝っても負けても潔く受け入れる。その背景にスポーツマンシップだけがあるなら、それは他の世界にも広まってほしい。
しかし現実には、暴力的制裁や暴力的支配があることを考えると、正々堂々でもないように思われる。
いずれにしてもそれが社会であり、一応、公正な表面を保持していたと思う。
現在はその、取り繕っていた表面的な公正ささえも、プロレスめいた熱狂の中で、打ち壊されつつある。
これは振り子の一方の端であって、時間がたてばまた、逆の方向に振れるのだと思いたいのだが。
高校野球 スポーツマンシップと暴力
