実存メモ08
人生には確実な土台(基盤)がない
つまり、すべての選択は自分次第であり、その責任も自分が負うことになる。
これについては、「確実な土台があるが人間には分からない」のか、または「確実な土台が原理的にない」のか、そのあたりはあいまいなままである。
宗教関係の人は、自分は確信に至ったと語るのであるが、それは他人にも確信を与えるような言葉ではない。詐欺師のほうが多いが、自覚していない詐欺師という存在もある。
一面では、だからこそ、気が楽なのであるが。
間違っても、失敗があっても、特に問題はない。すべては無に帰すのである。心配には及ばない。よいことも残らないが悪いことも残らない。それは救いではないだろうか。むしろ、大いなる救いである。
確実な土台はない。だから少しくらいのことは許されるのだと思う。
否定的救済観。