実存メモ29
エピクロス(Epicurus)
「死の恐怖は意識されないこともあるが、別の形で現れる」
「魂は肉体とともに消滅する」
→ だから死後の世界を恐れる必要はない。
「死を恐れる必要はない」
→ 私たちは死を経験することはできない。だから恐れる理由もない。
「死後の状態は、生まれる前と同じ」
→ 私たちが生まれる前の「無」と、死後の「無」は同じものだ。だから恐れる必要はない。
→ ロシアの作家ウラジーミル・ナボコフも、「私たちの人生は、二つの永遠の闇の間にある一筋の光だ」と表現している。
なかなか強力な論である。しかし心から納得できる種類のものでもない。屁理屈に近い。
多分、「魂は肉体とともに消滅する」、この部分が心から納得できていないのだろう。
「私たちは死を経験することはできない。だから恐れる理由もない。」そうは言われても、「他人の死に際して、恐怖を感じた。その延長として、自分の死に恐怖を感じる。」のだから、それは自然な延長である。その延長を許さないのは無理がある。
現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。
存在を把握する際に用いられるのが感覚であり、エピクロスはこれは信頼できるものだとみなし、認識に誤りが生じるのはこの感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるものだとした。
エピクロスは、幸福を人生の目的とした。これは人生の目的を徳として、幸福はその結果に過ぎないとしたストア派の反対である。
ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない、と彼は主張した
彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。
放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では快がもたらされないとして、エピクロスは否定的に評価している。
エピクロスによる快楽主義は、自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想